色778

不思議なものを追いかける/らせんの宿、phantom twins

謎・なぜその話を思いついた「タンタンコロリン」

突然ですが皆さんは「柿の精霊」と言われたら、どんな姿を想像しますか?
柿らしくオレンジ色の服を着た小人でしょうか。フェアリーのように背中に羽のついた愛らしい姿でしょうか。

さて、今回は宮城県の仙台に伝わる妖怪タンタンコロリンです。

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タンタンコロリン。画像はWikipediaより

この姿は漫画家の水木しげる先生が想像した姿です。
柿の実が怒った顔のようにも見えますね。
妖怪の姿はその逸話からイメージされたものなので、怒りに相応しい恐ろしげなエピソードがあるのでしょうか?

佐々木喜善という人の「聴耳草紙」には、こんな話があります。

ある屋敷に豊かに実った柿の木があった。
屋敷で働く女はその甘そうな柿を食べたいと思っていたところ、夜中になって真っ赤な顔の大男がやってきた。
何事かと思っていると、大男は「俺の尻を串でほじくれ」と言ってくる。
女が恐る恐る尻をほじくると、今度は「それを舐めろ」と言ってくる。
しかたなく舐めると、なんと甘い柿の味がした! という話です。


すごく汚いです。

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水木先生が憤怒の形相で描いたのは、強制してくる妖怪だから強面でなければ務まらないと考えたのでしょうか。

それにしたって、どうしてこんな話が伝わってきたのでしょう。
実った柿は腐る前にさっさと食べなさいという教えでしょうか。
にしても、もうちょっと他に話の作りようがあったんじゃないかと思います。

と書いていて、はっとしました。思い出したのです。昔、Yahoo知恵袋で「お尻に乾電池が入って取れなくなった」という悩みが異常に盛り上がっていたのを。(検索すれば出てくると思います)
お尻から始まる幸せや不幸に私たちは老若男女を問わず魅せられるのかもしれない。
このセンスは昔も今も共通してるのかも?


  1. 2017/09/06(水) 21:27:58|
  2. 妖怪

水木しげる先生から教わったこと。驚愕の世界

以前の記事では、妖怪は人の偏見の産みだしたものと書きました。
元々は人間であり、それが妖怪というわかりやすい形で物語のなかに組み込まれていったものだと。

しかし妖怪の種類は様々で、その全てが人間に端を発したものではありません。

中国の伝承が日本のイメージに置き換えられて信仰の対象となったものや、人々の暮らしのなかから生まれた妖怪もいます。

たとえば暗い夜道を歩いていると、後ろから誰かが付けてくるような気がして、振り返ると誰もいない。山を徘徊する動物のガサゴソという音を、過敏になった聴覚は自分の後ろを付けてくる何者かと錯覚することだってあるはずです。

べとべとさんなんて妖怪もいますね。

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べとべとさん。画像はWikipediaより。
 
特に危害を加えるわけでもなく、人の後ろを付けてくる妖怪と言われています。
こういうのは人の抱える不安や恐怖心が顕在化したもので、暮らしのなかから生まれた妖怪と言えるでしょう。

こちらは以前の記事でも登場した豆腐小僧。

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豆腐小僧。画像はWikipediaより。

豆腐小僧が生まれた経緯は諸説あります。

江戸庶民の間で豆腐が流行った時期があるので、何かの手違いで豆腐が長屋に届けられる事件が頻発し、それが豆腐を運んでくる妖怪のイメージになった……なんてこともあるかもしれませんね。
 
似たようなことを経験した人が増えれば、それに名前がつき、やがて形が宿ります。
妖怪の正体とは人間そのものであり、人間の心理であり、人々の暮らしであり、伝承であると言えます。

私はこの解釈で納得していました。、
でもこの頃どうも、それだけではないような気がしています。

というのも水木しげる先生。
水木先生といえば言わずと知れた妖怪の大家ですが、先生は妖怪を精霊と位置づけています。

精霊。先生によるとそれは心霊ともまた違っていて、ただそこに「あるもの」

これを知ったとき私は混乱しました。全く思いもしなかった。
同じことを別の人が言ったなら、気にしなかったと思います。解釈の違いとして受け止めていたはず。
けれど、妖怪の大家たる水木先生の言葉です。

一体どういうことなんだー。

先生は人生で3回(4回かも?)妖怪に出会ったことがあるそうです。子どもの頃に上記のべとべとさん、太平洋戦中にぬりかべのような妖怪、自宅の近くで何かの妖怪(前に先生の著書で読みましたが名前忘れました)。

先生の妖怪に対する理解は変わっていて、妖怪に出会った直後はその妖怪の名前がわからず、後になって江戸時代の浮世絵師、鳥山石燕の描いた妖怪画を見て自分の遭遇した妖怪を知るという経緯をたどっています。

妖怪の絵を見た後で、そのイメージが頭に残っていて、何かを見間違えるということはあります。特に子どもにはよく見られることです。

ですが先生は全く逆。未知との遭遇が先にきています。

先生の著書は何冊か読みましたが、水木先生ご自身にはスピリチュアルなところがまったくありません。実直で素朴でお茶目な人柄が文書や態度から垣間見えます。だからこそ、私はますます混乱してしまう。

妖怪とは精霊なのだろうか。何か霊的なものが、この世に存在しうるのだろうか。

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我々の意識は現実の全てを捉えてはいない

2017年4月カナダのバンクーバーで「The Future You」と題して未来や気候変動、AIについて話し合うTED2017が開かれました。
ここでセックス大学サックラー意識科学センターのアニル・セス博士は興味深い話をしています。

実験でまず、
①「ブレグジットはほんとうにひどいアイデアですね」という音声を用意し、被験者に不明瞭で聞き取りにくい音声を聞かせる。

次にはっきりした音声を聞かせる。

その後で不明瞭な音声を聞かせると、被験者は不明瞭だった音声をはっきりと聞き取れるようになったというのです。

脳に届いた感覚情報は変わっていなくとも、不明瞭な音声がどう聞こえるかを予測するための情報を脳は獲得したという実験結果です。

また別の実験では、被験者の鼓動に合わせて、光を明滅させると、被験者はその光を自身の身体が発するシグナルと錯覚したそうなのです。
予測が間違った方向に働くと、わたしたちは自身を誤って感知するらしいのです。
セス博士は「すべては経験は生き続けるという根底的な欲求から生まれ、私たちは私たちの体のなかに世界を見る」と述べています。

驚愕です。
脳は声でないないものを予測によって声として理解し、自分の発するシグナルでないものを自分として錯覚したのです。

世界とは自分であり、私たちは自分を通してでしか世界を認識できない。しかも上記の実験結果から私たちの脳の予測システムはそれほど精度の高いものでもないことがわかります。

世界を見る過程で、生存に不必要なものは脳が感知すらしていないのでしょう。考えてみれば電波や放射線や粒子の挙動など機器を通してでしか感知できないものは多々あります。昆虫や爬虫類のほうが優れている感知機能だってあります。

ひょっとすると人類には見えていない世界が広がっているのでしょうか。
そうすると、いるのでしょうか、精霊も。

私は精霊が見えない人間なので、精霊がいるともいないとも言えませんが、この話を知ってから、妖怪=精霊という説も一考に値すると思うようになりました。脳の予測のエラーか何かで、精霊が見えてしまう人間がいても不思議ではないような気がします。


ということで今回は妖怪は「精霊」かもしれないというお話でした。

皆さんは妖怪って何だと思いますか?


  1. 2017/09/05(火) 07:06:54|
  2. 妖怪

妖怪の正体は……人間?

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豆腐小僧。行動・豆腐を届けに来る。画像はWikipediaより

今回から妖怪も取りあげていきます。なぜなら妖怪こそが不思議の化身だからです。

妖怪とは奇妙な姿形で不気味なもの。関連書籍を読めば不思議と記憶に残るエピソードがあったりして怖いだけでもない。妖怪によっては豆腐を届けに来るだけとか、よくわからんのもいる。
実体が岩や木や道具だったりする妖怪もいて、全然ピンとこない。かといって現実に祀られているものを粗末に扱うとよくないことが起こりそうな気もするから、とりあえず神社で見かけたら手を合わせておく。

総じてなんだかよくわからない。

そうです。それが妖怪です。昔の人もそうでした。なんだかよくわからないのです。しかし彼らの中にこそ、人々の暮らしの知恵や恐れや偏見が投影されており、人間が人間を知るためのヒントが隠されているのです。

では妖怪第一弾は一つ目小僧。

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目一つ坊(一つ目小僧)。画像はWikipediaより

江戸時代の文献によく出てきます。
妖怪を信じない人は、こんなやついるわけねーと思うでしょう。

では考えてみましょう。江戸の人々は、なぜこんな奇妙な姿のものを思い描いたのでしょうか。作家さんたちがネタ不足に苦しんだあげく奇怪な生物を生み出してしまったのでしょうか。その可能性はあります。想像の産物かもしれません。

しかしこんな説もあります。

日本には古くから“たたら製鉄”という製鉄法がありました。日本固有の製鉄法で1000年以上の歴史があります。

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たたら製鉄による踏みふいご。画像はWikipediaより

映画もののけ姫にも同じタタラ場のシーンがありますね。あれも踏みふいごという送風機で、燃焼に必要な空気を送り込んでいるシーンです。
この製鉄に従事した人々の崇めていた鍛冶の神が、一つ目の神でした。製鉄に従事していると長時間高温の炉を見つめるので、従事者は目をやられるのです。
ところでギリシャ神話にはサイクロプスという巨人もいます。この巨人も鍛冶の神です。

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ギリシャ神話のサイクロプス。画像はWikipediaより

日本とギリシャ。遠く離れますが、遥か昔にギリシャ神話が日本にも伝わってきたのでしょうか。ロマンのある話です。

こういう妖怪もいます。一本だたら、という一つ目、片足の妖怪。ペルソナなどのアトラスゲームでその存在を知った人もいるのではないでしょうか。

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一本だたら。画像はWikipediaより

上記の踏みふいごを見てわかるとおり、製鉄従事者は目と同様、足も酷使するので足が使い物にならなくなってしまう。この一本だたらも製鉄従事者を表したものと言われることがあります。“たたら”なんてそのままですし。


さて、ここまでは事実を羅列してきました。ここからは、思い込みで語るオカルティストになります。

仮に二匹の妖怪が製鉄従事者を表したものだったとすれば、製鉄従事者とはどのような人々だったのでしょうか。

鉄は包丁、農具、工具、建築や戦争、あらゆるところで必要になります。だからこそ1000年以上に渡って作られ続けてきました。
製鉄は危険かつ過酷な作業ですが、誰にでも出来る仕事ではありません。専門的な知識と技術を要します。となれば、農村からちょっと人を集めてというわけにはいかない。農村から派遣されて製鉄に携わった人はいたかもしれませんが、基本的には技能を持った人たちが担っていたと考えるべきです。彼らは原料の砂鉄や木炭を得られる山間部に居を構えていました。

そして農村の人たちはそんな彼らをお化けでも見るような目で眺めていた。
江戸時代になると、製鉄従事者は妖怪となって登場します。そこにはやはり偏見があったと言うべきでしょう。
一つ目小僧や一本だたらの真相はそんなところかもしれません。

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大板山たたら製鉄遺跡。画像はWikipediaより

製鉄従事者をサンカと結びつけて考える人もいます。
サンカ。聞いたことのない言葉ではないでしょうか。歴史小説が好きな人なら知っているかもしれません。

サンカとは山間部に住み、川漁や竹細工を作って生活していた人々です。戸籍を持たない漂流民で、その実態は謎に包まれています。

明治期にはおよそ20万人いたとされているので、明確に身分が分けられていた江戸以前はもっと大勢いたかもしれません。
川漁や竹細工のような小物を作るだけで生活の糧が十分だったとは到底思えない。ひょっとするとサンカが製鉄に携わっていた人々なのでは? という話を聞いたことがあります。

サンカは生活の実態が把握できないほど情報に乏しく、彼らが発生した経緯にも諸説あります。
飢饉によって山へ移り住んだ人々がそのまま定着した説や、弥生時代にヤマト王権によって滅ぼされた勢力の生き残りであるとする説。そんな漂流民などはなく、サンカはただ一時期山間に住んでいただけの人々とする説。

いろいろありますが、彼らが存在したことは確かなので、その解明が待たれるところです。
教科書に載らない歴史として、とても興味深いですね。

妖怪から話が逸れてしまいましたが、一つ目小僧や一本だたらの姿に製鉄従事者を忌み嫌う心理が投影されているとすれば、自然、妖怪の姿にも物悲しさが漂ってきます。

ということで妖怪の正体は偏見の生んだ産物ということになりそうです。今回はそんなところで。


  1. 2017/08/18(金) 19:52:22|
  2. 妖怪