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不思議なものを追いかける/らせんの宿、phantom twins、小人戦記ザキ/DMM TELLER様あの晴れた日の向こうで

坂本竜馬暗殺の黒幕は? 下手人は斉藤一?

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画像はWikipediaより

坂本竜馬といえば薩長同盟の立役者として、知らない人はいません。
竜馬の最期は悲劇的で、彼は新時代を迎えることなくこの世を去りました。享年33歳。

さて、その竜馬。
近江屋の二階に中岡慎太郎と共に泊まっていたところを襲われて命を落とすのですが、その下手人や黒幕が度々話題にのぼります。

よく犯人として挙げられるのが京都見廻組と新撰組です。
両者はともに会津藩のお預かりとして、京で暗躍する浪士や長州藩とは対立する立場にありました。幕末の京では多くの藩士や浪士が、京都見廻組と新撰組の手によって斬られています。悲劇の舞台となった近江屋では、新撰組隊士、原田左之助のものと思われる鞘が見つかったことで当初は新撰組の関与が疑われていました。
(本当に原田左之助の鞘だったかどうかは不明)

しかし明治3年、函館で捕らえられた京都見廻組の今井信郎が竜馬暗殺を自供したことで、見廻組の犯行であることが判明。
竜馬の暗殺は、今井信郎、佐々木只三郎ら京都見廻組の手によるものだったことが明らかになりました。

本当に見廻組の犯行なのか?

竜馬暗殺について諸説あるのは、下手人である今井信郎と関与した他の見廻組隊士の証言に食い違いがあることや、犯人である今井信郎がたった二年の禁固刑しか受けていない(特赦により放免)ことが様々な憶測を呼ぶことにつながっています。

竜馬を狙っていたのは誰か?

京都守護を受け持つ会津藩の他に、竜馬と船事故の賠償を巡ってトラブルのあった紀伊藩も竜馬に恨みを抱いていました。
しかしもっとも根強い支持を集めているのが薩摩藩黒幕説です。
大政奉還を望む竜馬と、あくまでも武力討伐にこだわる薩摩との間で不和が生じていたと考え、そこから生まれた疑いです。

浅田次郎さんの小説「壬生義士伝」では、この説をもとにして竜馬暗殺の下手人を新撰組隊士の斉藤一にしていました。

新撰組のなかには薩摩側に寝返ろうとするグループ(御陵衛士)がいたのですが、薩摩への手土産として御陵衛士は竜馬の暗殺を企てるという内容です。
その役目を担わされたのが、新撰組隊士のなかでも腕利きだった斉藤一。
斉藤は新撰組副長、土方歳三の命でスパイとして御陵衛士に潜り込んでいましたが、御陵衛士の頭目だった伊藤甲子太郎に頼まれて、やむなく竜馬暗殺を引き受けます。
竜馬暗殺を拒否することはスパイ活動を疑われることになるので、その役目を引き受けざるを得ませんでした。


竜馬がどのようにして斬られたのかは、竜馬の遺品の鞘や近江屋に残された血痕のついた掛け軸などから、おおよそのことがわかっています。※遺品の鞘は大正2年、釧路の大火で失われており、現在残るのは写真のみ。
竜馬は向かい合った姿勢から、一太刀目で額を斬られ、立て掛けてあった刀で防戦するものの、鞘から刀を抜くヒマもなく絶命しています。

優れた剣術家だった竜馬をあっという間に切り伏せることができたのは、屈指の剣術家でなければならない。また向き合った姿勢から、初手で優位に立てる居合いの使い手、ついでに左利きの人なら尚更いい。
そこで左利きで居合いの使い手だった斉藤一にスポットを当てて考察されたのだと思います。


※当時の武士の作法として向き合って座ったとき敵意がないことを示すために右側に刀を置いた。
右側の刀を抜く場合、右利きの人間は左に一度持ち替えねばならず、斬るための動作が一つ遅れる。しかし左利きの人間ならば、右側に刀を置いたまま抜刀できる。

何かの番組で東京大学の教授も、斉藤一下手人説を話していました。ただ浅田次郎さんの「壬生義士伝」もそうですが、これらの説は人気のある新撰組隊士の斉藤一と竜馬を絡めることでよりセンセーショナルな演出を意図したもので、斉藤一が近江屋にいたという記録はありません。
薩摩藩が後ろで手を引いたとしても、それを裏づける史料がないので落としどころとしては見廻組になってしまいます。


最近オカルトとは関係のない内容が増えてますね。オカルトはエネルギーの消耗が多いのでやむを得ないのです。察してください。

そうそう、斉藤一といえば近年になって、顔写真が出てきました。当たり前のようWikipediaに載ってましたが、容姿がわかったのはつい最近のことです。ファンとしては嬉しい限りですね。

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掘りの深いイケメンのおじい様。若い頃はさぞかっこよかったと思われます。画像はWikipediaより



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  1. 2017/07/31(月) 07:35:33|
  2. 歴史の謎

徳川綱吉ってどんな人?身長は?

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画像はwikipediaより


生類憐みの令のためにあれやこれや言われることの多い将軍、徳川綱吉。

※生類哀れみの令とは、生き物を労わりなさい、という綱吉の治世中に出された130回以上の指令の総称。

彼は一体どんな人物だったのでしょうか。

徳川綱吉。
徳川幕府の5代目将軍。1646~1709年。

綱吉は儒学を学び、和歌にも通じていて、現代で言うところの教養人でした。

初期は徳を重んじた善政を敷いていましたが、中年になったあたりから生類哀れみの令を出したり、老中を遠ざけて独裁的な政治を行ったりして、その評価が分かれる人物です。

生類憐みの令は悪法?

以前までは、悪法と評価されていた生類哀れみの令が災いして、綱吉の評価も低かったのですが、現代では少し見直されてきています。
というのも、その内容は老人子どもに優しくせよ、捨て子にも優しくせよ、野良犬をいたわれ、馬をいじめないように、といった道徳的、風紀的な戒めの内容も多分に含まれているからです。

もちろんそれだけではなく狩猟や漁業に関する禁止もあったので、困惑する人々も大勢いました。疫病の馬を捨てて流罪になった人、釣りをして投獄された人、犬を斬って死罪になった人も実際にいます。しかし処罰を受けた人の数は、綱吉の治世でもそれほど多くはなかったという話もあります。
綱吉の評価が見直されてきているのは、偏屈な博愛主義者というよりは、世の中の悪い風潮を改めていこうとする健全な考えが垣間見れるからです。

暮らしの事情

一方、庶民にとってみれば、たとえば犬をいじめるのにも理由があったわけで、当時は犬による害が続くという事情がありました。野生化して暴れまわり、人を襲うこともありました。それに対して反撃して何が悪いのかと内心反発する人々もいたのです。

風潮とは生活に根ざしたものなので、それを命令のみで改めるのは難しいことです。
とはいえ、綱吉が慈愛でもって世の中を改めようとした理念そのものは非難できることではありません。忠臣蔵は有名ですが、浅野内匠頭を切腹に処したのは朝廷の儀式を壊されたとの強い憤りがあったと言われています。

こうしてみると徳川綱吉という人は儒学を重んじた理想主義的であり、ちょっと杓子定規なところがあったのかもしれません。

綱吉の身長は?

その綱吉、身長が124cmだったという説があります。
根拠となっているのは大樹寺の位牌の高さ。

大樹寺は徳川の菩提寺で、歴代当主の位牌が安置されているのですが、その位牌のサイズが当主たちの身長に合わせて作られているという話があります。

wikiより抜粋。

1.家康159.0cm
2.秀忠160.0cm
3.家光157.0cm
4.家綱158.0cm
5.綱吉124.0cm
6.家宣156.0cm ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は160cm前後
7.家継135.0cm ※満6歳薨去
8.吉宗155.5cm ※身長は六尺(約180cm)あったとも伝えられる。
9.家重151.4cm ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は156cm前後
10.家治153.5cm
11.家斉156.6cm
12.家慶153.5cm ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は154cm前後
13.家定149.9cm
14.家茂151.6cm ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は157cm前後


これを見ると綱吉と家継以外は各5cmほどのズレしかないので、ちょっと感動します。

綱吉の身長が124cmだったかどうかの問題に決着がつくことはないでしょうが、他に一切史料がないのでやや信憑性には欠けます。欲を言えばあと一押し説を補強するものがほしかった。文書でなくとも口伝かわらべ歌でもいい。これをロマンというのはおかしいけどロマン色薄めです。

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  1. 2017/07/29(土) 21:16:16|
  2. 歴史の謎

宇宙人は身近にいた。生命のルーツ。

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地球はすでに宇宙人によって支配されている。
そう主張する人がいます。
世界を牽引するトップリーダーたちは、レプティリアン(爬虫類型宇宙人)だという話もあります。

今回は少々野暮ったいかもしれませんが書いていきますね。

宇宙人が人間を支配しているとして、その目的は何か。

たとえば私ら人類は牛や豚、鶏のような家畜を管理して、言い換えるなら支配しています。
一方で、アリ(昆虫)を支配しようとは思いません。

家畜は私らにとって必要不可欠なタンパク源ですが、アリはタンパク源としては心もとなく他に十分な代替品があるからです。アリの場合、人間にとっての研究対象となることはあっても、基本的には種の系統が違いすぎて人間からは無関心です。

では宇宙人にとって、私ら人類はタンパク源なのでしょうか。
単にタンパク質を得る目的なら、人類が家畜を管理しているように他にもっと最適な生物があり、高効率な方法があるので、それよりは研究対象と考えるほうが、支配の目的としては妥当です。

高度な隠密性が導くもの

しかし地球の人口75億人の目を逃れて、影で人類を管理するのは、現実にはとても難しいことです。単純に資本のトップに成り代われば支配できるわけではなく、その存在を見られてはいけない。撮影されてもいけない。家族や親しい友人に疑問を持たれてもいけない。

そうなると、ほぼ完全に特定の人間を手中に収めなければいけません。
そのためには、人間という種の特徴を知り、もっと安全を期すなら身の回りの人間の一生を掌握していなければいけない。

自分たちよる劣る種に対して、そこまでして隠れる必要がありません。
全てを隠密裏に行える文明の段階となると、今度は逆に、人間など眼中にない種の段階に達していてもおかしくないし、隠密という手段と、研究という目的は釣りあいが取れにくいのです。


私は宇宙人肯定派ですが、人類の支配を目的とした存在という点では懐疑的です。
皆さんはどうでしょうか?

実際のところ宇宙人は地球上に存在しないのでしょうか。
いいえ、そうとも言い切れません。

私たちこそが宇宙出身だった可能性があります。


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生命のルーツは宇宙にあり?

かつて地球の生命は、原始スープの海で生まれたと言われていました。
しかし近年では、地球の生命は地球外から運ばれた材料を基にして作られたと考えるパンスペルミア説を支持する人も増えています。

パンスペルミア説とは、生命の種は宇宙にばらまかれているという考え方。

生命は38億年前には出現していたと考えられていますが、41億年前から38億年前にかけて小天体が地球に激しく降り注ぎ、大地はマグマと化して、海は蒸発してしまいました。

原始スープの海で生命が誕生していたとしても、そこで一度生命は死滅してしまったのです。
現代の生命は、小天体の衝突後、たった数千万年かもっと短い期間で生まれたことになります。
ごく短い期間に発生し、複雑な機能系を持てたのは、地球外から来た有機物との結びつきがあったからとも十分に考えられるのです。

偶然? 必然? 奇妙な事実。

もう一つ、生命の材料であるアミノ酸の分子構造は、右手型と左手型の二つがあります。
普通にアミノ酸を合成すると、右手型と左手型が同じ量だけ作られます。
その性質は同じですが、どういうわけか地球上の生命を作っているタンパク質は全て左手型のアミノ酸からできているのです。私たち人類の体も。理由はわかっていません。

ただ飛来する隕石から採取されたアミノ酸には左手型への偏りが認められています。それは重い恒星の放つ光(円偏向)が右手型のアミノ酸を壊し、左手型だけを残すためです。

遠い昔、恒星の光を浴びながら私たちは地球に辿り着いたのでしょうか。
私たちが宇宙の果てを夢見てやまないのは、一度は銀河を旅してきたからだと考えるとロマンが広がりますね。

参考『ますます眠れなくなる宇宙の話・佐藤勝彦』

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  1. 2017/07/27(木) 06:30:03|
  2. オカルト

縄文時代の土偶は宇宙人? 縄文時代とは。

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PCのような文明の利器に長時間向き合っていると、ふとした瞬間に悠久の過去に思いを馳せてしまいます。
生と死が隣り合わせのダイナミックな時代……そう、あの時代さえも私たちオカルティストの期待は広がっていくのです。

縄文時代の土偶は……まさか宇宙人なのか。


そもそも縄文時代時代っていつのこと?

今から約15000年から2400年前まで続いたと考えられています。
なんと1万年以上も続いていたんですね。
彼らは水場が近くにあって、なおかつ水害からは逃れられるよう台地に住んでいました。

縄文人の身長は? 顔は?

出土した骨から、男性でおよそ平均158cm、女性で153cmほどと推定されています。
現代人よりかなり小さいですが、漁と猟に明け暮れる生活は彼らを筋骨質な肉体にしていました。
ちなみに縄文人の後にやって来た弥生人男性の平均身長は164cmほどだったと言われています。けっこう大きいですね。

縄文人の顔は眉間の出た堀の深い顔立ちでした。鼻も高く、エラが張っており、お酒に強い、湿った耳垢などが特徴です。
弥生人はその反対で面長でのっぺりした顔立ち、低い鼻、お酒に弱く顔が赤くなる、乾いた耳垢などが特徴でした。
 
縄文人の平均寿命は?

かつて30歳ほどと言われていた平均寿命ですが、岩手県蝦島(えびしま)貝塚など、いくつかの貝塚から出土した人骨には65歳以上のものが全体の30%ほどを占めていたので、実際は40歳ぐらいだったと推定されています。
(ただ縄文時代は長いので、時期によっても大きな差があったはずです)
しかし子どもの死亡率は高く、15歳まで生きられるのは子どものうち5割ほどでした。

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犬と共に歩んだ縄文人

ときには人と一緒に埋められているなど、縄文人は犬を大切に扱っていました。
犬の骨に損傷や骨折が見つかっていることから、犬は人間と共にイノシシなどの猛獣と争っていたことがわかっています。犬の骨には快癒の痕も見つかり、負傷後も捨てたりはせず、大切に面倒を見ていたことがうかがえます。
野生の速さと嗅覚が、日々の糧を得る大きな助けになっていたんですね。犬はその当時から人間の相棒でした。

謎多き土偶

いよいよ本題です。その奇妙な姿かたちから、ときとして宇宙人扱いされる土偶。

左の土偶は遮光器土偶と言われ、土偶の見本のように登場する。
土偶
顔だけでなく体も特徴的なので、宇宙服を着ていると言われたりもする。


しかし土偶は一般的には祈りの道具だったと言われています。
他にも、母体を意識したものが多いので安産を願ったもの、病気怪我で失われていく者の身代わりとしたもの、魔よけなど様々な説があります。

土偶の出土数は膨大で15000体以上にのぼり、その数から類推できる縄文期の総数は3000万体とも言われています。
土偶は、選ばれた人間だけの芸術や高価な売買品ではなく、人にとって身近な存在でした。


その意味するところはわかりませんが、多くの土偶は漫画キャラのようにデフォルメされています。デフォルメすると、リアルに人間を描くよりも強調したいポイントが伝わります。女性らしさ、足が太い、座っている、顔を隠している、眠っているなど。
身近にいた特定の誰かをイメージしたのでしょうか。遮光器土偶は出土数も多いので、目を閉じた巫女のような人物で有名人だったのかもしれません。遮光器土偶の体に刻まれた渦巻き状の模様は、他の土偶にも多く見られ、当時のタトゥーやファッションだったと考えるのが自然です。

変わった形のものが多くとも、その姿は明らかに人の姿を模しており、そこには何らかの思いが託されています。
縄文人がどんな思いを託していたのか、気になりますね。

出土した土偶の大半が遮光器土偶ならオカルト色はもう少し強くなっていたはずです。
ですが他の土偶があまりにも人間的です。
オカルト好きとしては残念ですが土偶はおそらく宇宙人ではありません─Fin─

参考『知られざる縄文ライフ』誠文堂新光社

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  1. 2017/07/25(火) 07:37:00|
  2. オカルト

話題をさらうイタズラ好きたち「釣神様」オカルトの楽しみ方。

以前の記事で、UMAとオーパーツをランクづけしましたが、いずれも見間違いや勘違い、意図的な捏造もかなりあります。UMAとオーパーツをランクづけしてみた

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外科医の写真と呼ばれるネッシーの写真。THE Sunから

ネッシーはラジコンの潜水艦だったし、ミステリーサークルは老人二人のイタズラだった 
ミステリーサークルのほうは13年だけど、ネッシーのほうはおよそ60年間も世間を欺いていた。
こういった好奇心を刺激する内容はどんどんどんどん模倣犯が出てきて、収集がつかなくなる。この間にどれだけの怪しげなものが世に出てしまったことか。

まあそれでも真相を告白してくれたからよかった。

本当に困るのがヴォイニッチ手稿のようなもの。

※ヴォイニッチ手稿とは、1912年にイタリアの本屋が購入した謎の原稿。
未知の言語で書かれており、何が書いてあるのかわからない。イタズラの可能性もあるが、文字の構成から考えて意味のある配列のようにも思える。イラストも変わったものが多い。 


こういうのされると後の世の人が困る(イタズラとも言い切れないけど)。もやもやさせてからに。でも好きなんだよなぁ。

イタズラ好きといえば、いました日本にも。オーパーツでもUMAでもないけれども。

誰も見抜けなかったイタズラ好き「釣神様」

2006年6月、2ちゃんねるのVIP板を騒がせた人物がいました。勇名なので知ってる人が多いかも。
「俺の先祖は恐ろしい人物かもしれない」というスレを立て、古文書が出てきたと言ってこの画像をアップした。

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スレ主は追加で裏面をアップ。

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2枚ともに2ちゃんねるVIP板「俺の先祖は恐ろしい人物かもしれない」より

さらに、じいちゃんが起きてきたから話を聞いてみたというスレ主。
すると文化文政年間に村の川が氾濫して凶作が続いたと言われ、郷土史を調べてみたら文政5年に大水があったと書いていたそう。じいちゃんは「人に見せるな、処分しろ」と。

飢饉が絵の内容につながったと大筋が判明し、スレは騒然とする。
そんななか、こんな事件があったとして自分たちを化け物のように描くか、と疑問視する声も。
スレ主、「怖いよー」と言ってはぐらかす。

旅人を襲った5人ではないかとか、絵の横に名前が書かれているのはでないかと考察が続くなか、スレ主、今度は一緒に出てきたと言って検地帳をアップ。不穏な空気が増していく。

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2ちゃんねるVIP板「俺の先祖は恐ろしい人物かもしれない」より

日本史学を専攻している学生が登場し、文章の解読が進む。

もうみんなワクワクしちゃって、これを追求すると消されるとか、怯えているのか喜んでいるのかわからない声が、スレに溢れる。いい加減なことを真顔で語って盛り上げていくあたりが昔の2ちゃんねるっぽい。

そして最後に釣り宣言。
スレは荒れつつもスレ主の鮮やかな手口に感嘆する声が多かった。
スレ主によると検地帳は本物で、古文書のほうは絵と文字を自分で書き、紙は200年前の家の襖を使ったとのこと。

手が込んでます。
本気で人を手玉に取ろうと思ったら、ここまでしなくちゃいけないんですねえ。
もしもスレ主が「釣り」と宣言しなかったら、どうなってたんでしょ。途中ちょくちょく、戯曲化された絵や書き残した理由に触れて疑問符を投げかける声があったので、大事にはならなかったと思いますが、それにしても見事です。

それはともかく手の込んだ作品をうっかりアップしてしまったイタズラ好きのオカルティストの人たちも、神様を見習ってそう長々と引っ張らないでほしいものです。これくらいがイタズラとしてはちょうど良い気もしますね。

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  1. 2017/07/22(土) 20:04:54|
  2. オカルト

村はそうして存続してきた「破船」

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破船(吉村昭)

これは辛い。
終盤のやりきれなさは言葉にならない。

このカテゴリでは史実に基づいたお話のみ取り上げるつもりでしたが、この「破線」は小説でした。読んだ後で気がつきました。でも、小説で扱っているような話は日本にいくらでもありました。※寄船

あらすじ

貧しい漁村が舞台で、人々は漁で生活の糧を得ながらほそぼそと暮らしていた。
その年の漁が思わしくなければ人々はすぐにでも飢え、小さい子どもなどは簡単に命を落とす。
そんな暮らしのなかで人々が心の支えにしていたのが「お船様」と呼ばれる風習だった。

「お船様」というのは、冬場の荒れた海の夜に浜辺で煙を起こし、人家があると思って近づいてきた商船を座礁させて、積荷を奪うという村の風習。

僻地の漁村はこの「お船様」によってかろうじて支えられていた。
「お船様」がこない年には、飢えから逃れるために家族の誰かを年季奉公に出さなければならず、10年も年季奉公に出せば若い娘は婚期を逃し、貰い手をなくす。また奉公は過酷で、生きて帰れない者も大勢いた。

そんな暮らしだったから、「お船様」が来た年にはそれこそ村人は涙を流して抱き合った。
彼らにとって「お船様」は文字通り神様であり、海からの贈り物だった。

だがある年にやってきた「お船様」は漂流船で、中の人々は死に絶えていた。骸は一様に赤い着物を着ていて、それらを奪い分配した村に悲劇が訪れる……。


小説の裏表紙にはもっと短いあらすじで、赤い着物を分配したことで悲劇に見舞われると書かれているのですが、その話が出てくるのが物語の終盤。内容の7割は漁村の暮らしが描かれています。
だからといって退屈なわけではなく、巧みな筆致によって浮かび上がるような漁村の情景が広がり、どんどん引き込まれます。
漁村の荒々しさや、そこで生きる人々のしたたかさ、過酷さなど魅了されました。

ページ数も220ページと短め(新潮文庫)なので、お手軽な部類。

感想。

ややもすれば私らは習俗や風習といったものを軽く考えがちだけど、祖先の生活はそういったものに長年支えられてきたんだな、と感じます。
貧しい集落であるほど、したたかな信仰と厳格な掟に依らなければ存続できない。
「破船」の終わりは悲劇的でしたが、漁村の存続という一点においては比類のない力に満ちたお話です。

赤い衣を着ていた骸たちは疱瘡に覆われていて、それを剥ぎ取り、分配しだしたところで、やばいと思いながらページをめくってましたが、案の定の展開でした。

終盤の描写は少々きつく万人向けではないけれど吉村昭さんの小説が好きならオススメ。個人的には好きです。

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  1. 2017/07/20(木) 20:23:00|
  2. 映画・小説レビュー

私らはみんな洗脳されているのかもしれない

堀江貴文さんの著書「多動力」の影響で、ツイッターを見ていると、洗脳という言葉をよく見かける。(もちろんフォローしているからだよ)
旧態依然としたシステムからの脱却という意味で、洗脳が解けましたと言うリツイートが流れてくる。

洗脳か。
洗脳というと私は日本が敗北したあの戦争のことを思い出すな。

戦後、あの時代の人々は洗脳されていたと、戦中戦後を生きた人は語るけれど、その昭和の世代も現代から見ればやっぱり洗脳を受けていたように映る。

事件で言えば相手が発砲してきても警官は警棒で対処せざるを得なかったり、民間の旅客機が乗っ取られたら日本政府が犯人の要求に応じたり。

犯人も含めて人権が最大限に尊重されていた。
それはしょうがない面もあって、戦中があまりにも人権がないがしろにされていたその反動でもあったからだけど。

サブカル面ではこの時代のものは、地球の平和を訴えてるものが多い。それも背景にあるのは米ソの冷戦でいつ核が使われるかという恐怖が根底にあったからだ。

冷戦が終結しても、その気風は長い間、グローバリズムと絡んで人類普遍の価値であるかのように語られたけれど、昨今になって現実とのギャップから歪(ひずみ)が生まれている。

私は何が良いのかは言わないけど、次の時代は現代をどう評価するのかな、と思ったりはする。
広い意味では、みんな時代感覚に洗脳されていて、時代を主導したほうの力が過去を処断することには違いない。

50年ぐらい経ったとき、小学生ぐらい子が私を見て「あ、最適化されていない世代のおじいちゃんだ!」なんてことを言うのかな。「ちゃんとAIの言うことを聞きなさい!」とか。うひー、おっそろしい!

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オカルトの時代がきたーってなるといいね。

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  1. 2017/07/18(火) 21:18:02|
  2. 雑記

UMAとオーパーツをランクづけしてみた

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世界のUMAを紹介する番組をぼうっと見ていたところ、終盤になって私の目は画面に釘づけになりました。
知る人ぞ知る、巨大骸骨の発見現場の写真が出てきたのです。

巨大骸骨
こういう写真


かつて地球上に存在した巨人族かもしれないという説明とともに。

ただしこの画像はフェイクかもしれないと、番組終わりに付け加えていましたが……フェイク確定だから、それ! 作ってるほうは百も承知でしょうが。

※UMAとは、Unidentified Mysterious Animalの略称で生物学的に確認されていない未知の生物のこと。

ということでUMAを信憑性でランク分けしてみました。
UMAだけだと寂しいのでオーパーツ等もその可能性によって分類してみました。

※オーパーツとは、out-of-place artifactsの略称で「場違いな工芸品」という意味。それが発見された場所や時代とが全くそぐわず、なぜ存在するのかが謎とされている物の総称。

Aランク。まさしくオーパーツ。歴史の常識を覆すもの
なし

Bランク。重大な発見またはオカルトを抜きにしても歴史的価値が大きく、その背景を探る必要のあるもの
ナスカの地上絵、マチュピチュ、モヘンジョダロ、ストーンヘンジ、ネブラ・ディスク、アンティキティラ島の機械

Cランク。真偽不明でワンチャンありそうなもの
ヴォイニッチ手稿、与那国島の海底遺跡

D+ランク。目撃例や写真やミイラがある、または真偽不明なもの
シーサーペント、ツチノコ、ヒバゴン、UFO(円盤)、雪男、ネッシー(一部写真はフェイク確定)、モンゴリアンデスワーム、ビッグフット、河童、人魚(♂)、チュパカブラ、妖精、弾痕のある頭蓋骨、カンブリア紀の金属ボルト、ロシアの金属コイル

Dランク。ほぼフェイクが確定したか、正体や理由の判明したもの
カブレラストーン、恐竜土偶、古代エジプトのグライダー(鳥の模型)、聖徳太子の地球儀(江戸時代に作られた可能性が高い)、スカイフィッシュ(昆虫)、水晶ドクロ、古代核戦争説の根拠なったガラスの街(場所を明かせないのは×)、人間と恐竜の足跡、ミステリーサークル、アトランティス大陸(プラトンの啓蒙)、ムー大陸(翻訳間違い)、ピリレイスの地図(懐疑論の立場)、黄金スペースシャトル(プレコか魚模型の立場)、コスタリカの石球(手作業でも可能)

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巨大骸骨の発掘写真、ニンゲン


UMAとオーパーツを無理やり一緒にしたのでよくわからないランク付けになりましたが↑のランクほど「すごい感じ」です。
Aランクはまだなし。UMA勢はDランクを脱することができませんでした。でも海底深くには、やばいやつらがごろごろいそうな気がします。
 
もちろん主観なので「河童はもっと上や!」のような意見はあって然るべきです。Dランクでも優れた技術のものはあるし侮れません。
このリストは機会があれば修正したり、付け加えたりしたいです。ではまた。

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  1. 2017/07/17(月) 18:09:24|
  2. オカルト

夏山での遭難「トムラウシ山遭難事故」

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トムラウシ山遭難事故

2009年7月16日、早朝から夕方にかけて北海道大雪山系トムラウシ山が悪天候に見舞われ、ツアーガイドを含む登山者8名が低体温症で死亡した事故。

ちょうど8年前の今日。
真夏日にもかかわらず多くの方が低体温症にかかり、その恐ろしさを世に知らしめた事件。


以下の流れはウィキから抜粋、一部改変。

7月14日、パーティ18名は旭岳ロープウェー姿見駅を出発し、白雲岳避難小屋に宿泊。夜から雨が降り始めたものの、この日は晴れていた。

7月15日、予報で寒冷前線が通過することがわかっていながら、出発。天候は朝から大雨。全員雨具を着用し、16キロの道のりを歩きヒサゴ沼避難小屋に到着。
小屋の中は雨漏りだらけで濡れた装備を乾かすこともできず、ずぶ濡れの寝袋に包まって横になった。展望もない登山で泥道を長時間歩いたため、皆疲労困憊していた。

7月16日、強風に吹かれながら川を渡り、多くの人がずぶ濡れになった。客の一人を支えていたサブガイドも全身ずぶ濡れになった。
(ガイドは、添乗員を兼ねたガイドリーダー、メインガイド、サブガイドの3人がいる)

女性の一人が低体温症のために歩行困難となり、その介助のために強風のなか全員がその場に1時間待機させられた。
その後、簡易テントを設営し、女性とガイドリーダーを残し、一向は先に進む。
しかしその後、歩けなくなる者が続出し、北沼付近で再び緊急野営。メインガイドとツアー客4名を残し、サブガイドとツアー客10名の計11名が先に進む。

サブガイドは遅れた人を待つことなく進んだので列が伸びきって全員がバラバラとなる。
サブガイドが途中で動けなくなり、後ろをついてきた女性客と男性客がそのまま下山。(このとき女性が最初の110番通報)後続していた8名のうち3名も自力下山。

メインガイドの野営地では女性2人の脈拍が停止。メインガイドが引き返し、ガイドリーダーと女性一人も絶望的な状況であることを確認する。メインガイドが会社にメール。

残った7名のうちガイドリーダーを含めた4名が亡くなる。
下山していた11名のうち4名が亡くなる。

事故の要因・背景はウィキで。

この事件、ガイド3名はそれぞれ登山経験者だったが、トムラウシ山の登山経験があったのはメインガイドの一人だけで、3人は現地で初めて顔を合わせたようです。
登山の前、ガイドリーダーとサブガイドの2人は、このツアーが危ないという自覚があったが、社の方針には口出しできなかった(ガイドの雇用形態は一回ごとの契約で雇用保険はなし)。
ガイドの判断ミスがあったのは確かだけど、立場を考えれば、選択の余地がなかったところもあるように思う。

今でも毎年のように色んなツアーのトラブルが相次いで報道されますが、私は山だけは特に気をつけたほうがいいと思う。
入念な準備をして、あらゆる角度から計画を見直して、信頼できる人と組んで、それでも危ないのが山だと思う。寒冷前線が長い間留まるなど、山は気象も気候もあらゆるものが平地とは異なっていて、慣れている人でも想像だにしないことが起こる。
昔の人は山を恐れたけど、山は異界ぐらいに思ったほうがいい。オーバーな表現でもないと思う。


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低体温症について

体温が35℃以下になった病態。疲労との関係が深く、トムラウシ山遭難事故でもヒサゴ沼避難小屋でしっかり食べる、休むなどできていなかったことが後の悲劇につながっていく。
加えて翌日、水に濡れた状態で、暴風に晒されたために一向は急激に体温を奪われていった。

(気温6℃、風速15メートルで体感温度は-10℃、事件当日の気象条件はこれ以下だった言われている)

低体温症は夏でも起こり得る

夏の山で起こった症状であるように、気温の低下だけが低体温症につながるとは言えない。マラソンのランナーが汗と疲労によって低体温症になった例もあるし、赤ん坊が濡れたままのオムツを変えなかったことで死亡した例もある。
また体温が下がると正常な判断ができなくなるので、携帯を持っているのにそれに思い至らないということにもなりかねない。
最後に亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

参考『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』

私がこの事件から得た山の教訓は。

・ツアー会社をよく調べる。
・複数人での登山はリスクのある行為と考えておく。(色んな人がいる)
山のプロでも、会社には逆らえないかもしれない。
・ガイド任せにせず、エスケープルートを自分でも把握しておく。
・しっかり食べる、休む。
・雨対策をしっかり。
・そもそも登山に行かないのもあり。

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  1. 2017/07/16(日) 18:27:23|
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最悪の島・漂流(吉村昭)

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漂流(吉村昭)

江戸時代の天明年間(1781~1789)シケに遭い、黒潮に乗ってしまった男たちは、絶海の火山島に流れ着く。

そこは無人島で水が湧かず、樹木すらも生えない。過酷な日々に男たちは次々と倒れていくが、土佐の船乗り、長平は12年間に及ぶ歳月を経て、ついに生還を果たす。

漂着先としては最悪の部類です。
上記に加えて、火山島の周囲に他の島はなく、近く通る船も全くない。救出の目はない。


この火山島、鳥島と呼ばれる島のことで、東京都庁から南に582kmも離れており、八丈島より青ヶ島より更に南にあります。

明治時代から戦前にかけて、一時期は人が住んでいたようですが、噴火や地震などがあって現代では東京都に属する無人の島。江戸時代にはこの島に流れ着く漁業関係者も多く、島で多くの人が亡くなっています。

唯一、長平たちが恵まれていたのは、この島はアホウ鳥の群生地だったこと。アホウ鳥を(生で)食べながら、雨水を啜り、飢えと渇きをしのぎますが、島での過酷な日々が次々と仲間の命を奪っていきます。

仲間を失ってからの長平の姿は痛ましく、見るに耐えなかった。空腹も乾きも辛いが、人間は孤独には耐えられない生き物なのかもしれない。

話は始終、絶望感が漂っているものの、他の漂流者が現れたときや、生活環境が少しずつ変わっていくところなど、「お」と思えるところもあって最後まで楽しめました。

島で12年間を生き抜いて長平は生還を果たすのですが、初めに書いたように長平を取り巻く環境は完全に詰んでます。
長平たちが何をしたのか、その方法は書かないでおきます。人を押し上げる力は希望と執念なのかもしれない。

記録小説というのか、資料を基に年代を追っているので人によっては読みにくいと感じるかもしれません。人物よりも環境や説明に力が入ってます。個人的にはオススメです。

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  1. 2017/07/13(木) 21:39:20|
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