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不思議なものを追いかける/らせんの宿、phantom twins、小人戦記ザキ/DMM TELLER様あの晴れた日の向こうで

謎・なぜ人は孤独に耐えられないのか

謎は謎だけど、今回は少し趣向を変えて。

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人間だけが兼ね備えてしまったもの

犬の猫の赤ちゃんは生まれて間もなく母親の母乳を求めて自力で動こうとします。それに比べて人間の赤ちゃんは歩くどころか、寝返りさえもうてない。個人差はありますが一般的に寝返りをするまでに5~6ヶ月、自力で動けるようになるまで半年から1年かかります。

他の哺乳類と比べたとき、どうも人間は一年ほど早く生まれすぎているそうなのです。

動けるようになるまで、赤ちゃんは身の回りの全てのことを大人に頼らなければ生きていけません。ということは周りの人に受け入れられるかどうかが赤ちゃんにとっての死活問題です。
こういう事情から人間は他の哺乳類と違って、受け入れられる欲望──所属願望とでも言うべきものが強くなったと言われています。

人間の場合、この所属願望が生存願望に匹敵するそうです。だから友だちのグループや家族や社会に受け入れてもらえてないと感じれば生存願望を飛び越えて、自死さえ選択してしまうことがあるのです。この傾向は他の動物では見られません。

『人づきあいがラクになる心理学の教え・井上知子』より

吉村昭さんの『漂流』のレビューで、人は孤独には耐えられないと書きましたが、その理由が補強できました。そういうことだったのかー。

見つめなおすとき

私たちは子どもの頃から競争のなかにいます。そういう教育で育ったので競争を勝ち抜くことが安心感を得る方法だといつの間にか信じ込んでしまっています。社会が競い合える人材を求めているという事情もあります。

しかし一歩引いて考えてみると、競争を勝ち抜いて得られる安心感は一過性のもので、人間が生まれながら持つ所属願望を満たす安心感には変えられません。

最近売れている自己啓発本をいくつか読んでいると、人間の感情は脳内の信号に過ぎないのだから、客観的に自分を分析して脳内の信号をコントロールしようという主旨の本が多く見られます。

社会の目まぐるしいAI化のあおりを受けて、人間も自己の性質を見つめなおすときがきているのでしょうか。

大事なこと

所属願望を満たすにはどうすればいいのでしょうか。
所属願望とは共同体に属することを願う気持ちであり、共同体とは家族、友人、サークル、学校、会社のことです。そこに属しているだけで人は安心感を得られるのです。
ただし、所属願望を満たすために自分を押し殺して、言いたいことも言えない共同体に属していてはまた別の苦しみを産みます。


ありのままの自分でいられる場所、自分を認めてくれる存在こそがここで言う所属願望を満たす共同体です。それは家族になるケースが多いですが、友人グループや親戚、ごくまれに会社ということもあり得ます。社会的な成功者と言われる人たちほど、仕事とは別の共同体に属し、互いに認め合う場を大切にしているとも言われています。

これを読んでいる方がもし、不安や孤独を強く抱えているとしたら、必要なのは共同体かもしれません。共同体の人数は十人でもいいし、一人でもいい。それが、あるかないかで大きく違うのです。

当たり前のことしか言ってないな、と思う人もいるかもしれませんが、意外と気づきにくいポイントです。ここ数年内に起こった自死事件の顛末を見ると所属願望が生存願望を超えて人を突き動かした事例がいくつかあります。

人間の性質をよく知って、お互い満ち足りた人生を送りたいものですね。

  1. 2017/08/30(水) 20:11:27|
  2. その他の謎

謎・なぜ日本人は英語が苦手なのか?苦手でも特に問題ないからだった!

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2011年に小学校5年、6年生の英語が必修となりました。

前倒しの流れはまだ続いています。2018年からは移行期間として小学校3、4年生にも外国語活動として英語が導入され、2020年からは必修となります。
時代の流れを考えれば英語学習の低年齢化は当然という意見もあれば、日本語の取得に混乱をきたすという意見もあり、賛否あります。




指導環境を整えないまま、科目を増やしてどうするんだって意見もありますね。

ただ、小学生の英語学習に反対だとしても、英語学習そのものを否定する人はいません。社会人になってから英語を身につけようとしている人は大勢います。逆に言えば中学、高校と6年間、大卒者なら計10年は英語と向き合ってきたはずなのに、英語を話せない人が多いのです。

英語圏の人からは、日本人は英語が下手だと言われます。アジア圏の国はみんな苦手なのでしょうか。お隣の韓国はそうでもありません。
TOEICの平均点は日本が512点で国別では40位。韓国は632点で30位です。負けてしまってます。

こんなに勉強してきたのになぜでしょう。
いくつか理由があると言われています。

・受験英語なので正解、不正解が過度に重視されてきた。
・現実的ではない言い回しが多く、時間をかけたわりに活用されない。外国へ行くこともなかった。そして忘れた。
・発話、リスニングの比重が小さく、しゃべれないし聞き取れない。

かくいう私も英語が苦手です。聞き取りなどまったくできない。外国人に話しかけられたら「う、あ……」となること請け合いです。

日本語は英語が不要なようにできていた!?

明治時代、多くの英単語が日本に入ってきましたが、その翻訳に努めた人がいます。

一万円札の肖像となっている福沢諭吉。

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画像はWikipediaより

福沢諭吉は教育者であり、西洋文学にも精通していました。
他国の言語が入ってきたとき、福沢諭吉は次々に日本の言葉に置き換えていったのです。
たとえばfreedom、libertyを“自由”という言葉にしたのも福沢諭吉です。
※freedom、libertyを天下御免とする案もあったようです。なんとも言えない“まかり通る”感がいいですね。味があって。

英語を次々と日本人に馴染みやすい言葉に置き換えてくれたおかげで、現代の私たちはほぼ日本語だけで、英語圏の表現も理解することができるようになったのです。
他の東南アジアではそういう置き換えがなされず、大学の授業などは全て英語で行われたりしました。

4世紀の後半、漢字が中国から日本へ伝わってきたときも、日本人は音に漢字を当てはめ、独自の文字体系を作り上げていきました。
他国にしかない表現であっても咀嚼して独自のものに変えていく力が日本にはあったんですね。そのおかげで英語の取得には苦労しているので一長一短かもしれませんが。

ということで私たちが英語をしゃべれないのも、やむを得なかったわけです。というより、しゃべれないほうが道理に適っていた。やったー!


現実逃避していても、しょうがないので最後に英語学習のポイントを箇条書きしておきます。このブログを間違って受験生が見てるかもしれないですからね。

・英語を聞いて話す、聞いて書く。耳と口と手を動かし、脳へ刺激を与える。
・スカイプを使った英会話サービスを利用する。
・好きな洋画を繰り返し見る。セリフを丸暗記するつもりで。
・英語は学習時間に比例して成果が上がるものではなく、段階的に上がっていく。ちょっとずつ伸びるのではなく、一定の学習量に達したときに一気に伸びるイメージ。なので、すぐに成果がでないからといって焦らなくていい。
・単語帳は評価が高く売れているものを選ぶ。なんだかんだで人気のあるものがそのまま最適解。

英語のできない私が言っても説得力がないと思うので、英語ができる人の勉強法を拾いました。受験生は受験終了後にやったーしてください。


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  1. 2017/08/27(日) 01:00:31|
  2. 歴史の謎

本能寺の変の謎!黒幕説vs光秀単独犯行説!

歴史の謎について書くなら避けては通れない、戦国時代のどんでん返し、本能寺の変です。
織田信長の配下だった明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか。

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画像はWikipediaより。

昔からその理由を説明する様々な説が唱えられているものの、これという説はありません。
歴史の転換点とも言えるダイナミックな出来事でもあり、私たちの心を捉えてやまない。
今回はオカルティストの想像で、本能寺の変を考えてみたいと思います。

諸説ある明智光秀の謀反ですが、おおざっぱに分ければその説は二つになります。
謀反を起こすよう光秀をそそのかした黒幕がいたのか、それとも光秀の単独犯行だったのか。前者を黒幕説、後者を単独犯行説とします。


まず黒幕説でよく挙がる人物。

羽柴秀吉
本能寺の変で誰が一番得をしたか、と考えれば候補に挙がるのは、その後織田軍を掌握することになる羽柴秀吉。中国大返しも速すぎる。秀吉が一枚噛んでるという設定は小説やドラマで見かけますが、それを裏づける史料がないことから、歴史学者でこの説を支持する人は少ないです。

徳川家康
黒幕説で秀吉よりも名前が挙がるのがこの人、徳川家康。
というのも信長と同時代を生きた宣教師のルイス・フロイスの記録や光秀の部下の証言(本城惣右衛門覚書)などから、光秀の部下たちは自分たちが戦う相手は家康だと思っていた節があります。実際に信長が光秀に家康の首を取れと言ったかどうかは別としても、そんな噂が当時流れていたとも考えられます。不穏な空気を感じていた家康が先手を打ち、万が一に備えて明智と結ぶ裏工作を進めていた、という話もあり得なくはない。
内容に違いはあれど家康と光秀を組ませると話が広がりやすいので、この説も小説、ドラマに多いです。

朝廷黒幕説
黒幕がいたとするなら、それは朝廷だったと考える説。数ある黒幕説のなかで、もっとも支持されている説です。
光秀は朝廷との調整役を担当していたので関わりも深い。朝廷の誰かと組んで信長を討ったという説はそれなりに信憑性があります。光秀と組んだ相手が朝廷の誰だったかは論者によって意見が分かれています。


次に光秀単独犯行説。

光秀の単独犯行だったと考える歴史学者はけっこう多いです。

代表的なのは、野望説、突発説、怨恨説の三つ。

野望説
天下取りの野望が光秀を突き動かしたとする説。信長と敵対する力はないが、チャンスがあれば天下が狙える立場にいた光秀は、本能寺で一世一代の賭けに出たとする考え方です。
私はこの説を推したいので、あとで触れます。

突発説
突発性は野望説に対する批判から生まれた説とも言われてます。

光秀が天下取りの野望に突き動かされて信長を討ったにしては、その後の光秀の行動が計画的とは言えず、深い思慮があったとは思えない。発作的にやってしまったのではないか、とする考え方です。

本能寺の変(6月2日)後、光秀は安土城に入ろうとするのも道中で橋を落とされ、3日間も立ち往生することになります。しょうがなく光秀は坂本城に入りますが、安土城と坂本城では世間に与えるインパクトが全く違う。信長の後釜を狙っていた光秀にとっては最初の誤算です。
この3日の間に光秀は積極的な手紙戦略を繰り出します。信長の主だった武将に味方になるよう呼びかけますが、何しろ10日後には戦となって敗れているので、どれほど効果があったのか不明です。
橋を直して安土城に入ったのが6月5日。それから秀吉の本拠地であった長浜城を落とし、9日には朝廷に献金し足場を固めようとしています。
そして光秀最大の誤算は、味方として当てにしていた細川藤孝、忠興、親子に見捨てられたことです。信長の死を聞いた細川親子はその死を悼んで断髪し、それを知った光秀は腹を立てつつも、軍事行動に加わるよう懇願する手紙を送っています。また謀反の理由について、娘の夫である細川忠興を取り立てたかったからだとも書いています。細川親子の決起を促すための方便と考えられますが、少なからず本音も混ざっていたかもしれません。


怨恨説
光秀が信長に恨みを抱いていたとする説。小説やドラマではしばしば信長と光秀の関係を、気性の激しい上司とそれに翻弄される部下という構図で描かれることがあります。信長の八つ当たりに耐えていた光秀は不満を溜めこみ、その怒りがついに爆発したとする考え方です。

光秀の内面の問題なので本当のところはどうだったかわかりません。光秀はどちらかといえば信長の信任を得ていたので、二人の関係は悪くなかったという反論もあります。

この仮説の根拠としてよく取りあげられるのは、小早川隆景宛の書状です。そこにははっきりと、「光秀こと、近年信長に対し、憤りを抱き、遺恨もだしがたく候」と書かれている。この書状が本物なら光秀謀反の理由は怨恨説で確定ですが、後世の偽書であるとする論者もいます。

もう一つ怨恨説を推す根拠となっているのがルイス・フロイスの日本史です。そこには本能寺の変の前、信長が光秀を怒鳴り散らしていた話が出てきます。ひょっとすると光秀は恨みを抱いていたのかもしれません。

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明智光秀。画像はWikipediaより

定説はなく、いくつもの仮説がある光秀謀反の謎。
このなかで私は野望説を推したい。


親子でさえも明日には敵に回るかもしれない気のおけない時代。婚姻で一族の枠を広げていったとしても、根本的に頼れるものは自分しかなかったはずです。

戦国時代は光秀に限らず、あらゆる人物に野心がありました。国だけが争っていたのではなく、領主に仕える武将の間でもせめぎあいが起こっていた。力の空白を作れば一気に潰されねない競争のなか、一族を存続させるにはライバルを押しのけて勝ちきるしかありません。野心は当然持ち合わせていなければいけないものでした。

光秀の謀反を不思議に感じるのは私たちが結果を知っているからに他なりません。
時代を生きている者にとっては世の中など、どう転ぶかわからなかったし、明日は誰にも読めなかった。
信長の死後、天下を掌握した秀吉ですら、先のわかる安易な賭けばかりではなかったはずです。それこそ一つ一つの決断に自分の運命をかけていた。

光秀も同じでした。
歴史が結果が全てなので、光秀の行動は短絡的にも映りますが、光秀には信長を討つリスクが霞むほど天下を掌握する夢が大きく映ったのかもしれません。
誰にも見えない光秀の内面の問題であるからこそ、本能寺の変の謎は永久に解けないパズルなのかも、と私は思ったりします。


ここでルイス・フロイスの光秀人物評を見てみます。
光秀は、
・裏切り、密会を好む。
・刑を科すに残酷で独裁的
・自分を偽装するのがうまかった
・謀略を得意とする、忍耐力もある
・立ち回りがうまい
・信長によく贈り物をして喜ばせ、嘘泣きをすることもあった
・築城に造詣が深い

ひどい言われようです。フロイスの主観なので偏りはあるでしょうが当時の人物が評した一次史料でその価値は高いとされています。このフロイス評、鵜呑みにはできないですが的を得ているところもあるのではないでしょうか。

こうしてみると光秀はなかなか計算高く、政治家向きだった印象を受けます。短絡的な人とも思えない。
この性格なら当時としてはごくごく普通に持ち合わせていた野心によって突き動かされたとしても違和感がないように思えます。

人物評の厳しいフロイスですが、ポルトガルの宣教師だった彼の目に光秀が上記のように見えていたのだとしたら、光秀は案外周りの目を欺くのは下手だったのかも、と思ったりもしますが。

どうですか?
本能寺の前にした光秀の姿や、その後の光秀の焦りを思い浮かべると、激動の時代を生き抜こうとあがくひとりの人間浮かび上がってきたりしませんか?

皆さんも想像を楽しんでみてください。


参考『明智光秀と本能寺の変・小和田哲男』

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  1. 2017/08/25(金) 06:29:46|
  2. 歴史の謎

オカルティストは屈しない(創作)

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閑散とした商店街を歩いていると、前を歩いてくる男と肩がぶつかった。
私は無言のまま足を止めることもなかったのだが、

「あんた赤コワさんじゃないかい?」

えっと思って振り返ると、眼鏡をかけた細身の男が私を見ている。知らない顔だ。神経質そうな顔がどことなく大学教授を思わせた。

「やっぱりそうだ。あんたオカルティストの赤コワさんだ、見てるよ、あんたのブログ」

腑に落ちない。顔出しはしていないのだから。

「あんた、卑怯なやつだよ。謎や不思議に言及しながら肝心なところに話が及ぶと、自分はオカルティストだからと言って逃げる。それは結局、結論に責任をもてないからじゃないのか」
「どうしてそんなこと……あなたは?」
「俺かい? 俺は電磁気学を教えてるK大学の教授さ」
「大学教授……」

大学教授がどうして私のブログにケチをつけてくる? 接点がないはずだ。

「いいか、俺たち研究者はな、言葉に責任を持つ。いい加減なことは言わない。それにひきかえ、あんたらオカルティストは何だ? すぐ超常現象だの、宇宙人だのと結びつけて、論破されそうになったら自分はオカルティストだからと言って知らん振りだ。恥を知れ!」

言うなり男は拳を突き出してきた。拳が私のみぞおちにめり込む。ぐぼあ。間髪入れに男の蹴り。まともに受けた私の体は後ろへ大きく飛ばされ、ポリバケツに衝突した。バケツの中身がこぼれ、生ゴミが覆いかぶさる。ひどい臭いだ。

「ははは、いい姿になったじゃないか、赤コワ。だが俺たちの怒りはこんなもんじゃ収まらない」

と言って男が懐から取り出したものに戦慄する。拳銃だ。いや、ただの銃ではない。長すぎる銃身。しかもそれが二つに割れたこの形状は──ピンときた。相手が電磁気学の専門家ならばレールガンしかない。それしかない。

「電磁投射砲、レールガンってやつだ」
「やっぱりか。小型化は難しいと聞いてたけど……完成してたのか」

私は腹を押さえながら立ち上がった。

「防衛省の技研と共同で開発したのさ。さあ、今日限りブログをやめると言え、赤コワ」

銃口が私に向けられた。迷うことはなかった。ブログをやめなければ撃たれる。カッと開いた男の目は本気を物語っている。

「ブログをやめると言え、赤コワ!」

命には代えられない。「わかった、やめる」口に出そうとして、喉に引っかかりを覚える。それが自分にとってひどく辛い選択だと気づいたのだ。胸が苦しい。心が拒否していた。違う。オカルティストは恥知らずではない。

「……め……い」
「ん?」
「……めない」
「何?」
「ブログはやめない!」
「てめえ、赤コワ!」

ガションとレールガンが鳴った。何の音かわからないが安全装置が外れたのかもしれない。

「待って! 聞いてくれ、まずは聞いてくれ!」
「……」
「私も何度も怪しいオカルト関連の動画を見てオカルトティストはただのホラ吹きなんじゃないかと思った! でもわかったんだ! オカルトが探求への間口になってるかもしれないって!」
「……どういうことだ?」
「それがいかがわしいものや怪しいものだったとしても、人の関心を引くことが真相究明への原動力になり得るって!」
「そんな高尚なもんかよ、オカルトが!」
「アメリカの大統領候補がUFOの情報公開を公約にしたんだよ! どれだけの人間が関心を抱いているのか、あなたにもわかるはずだ! 世論そのものなんだよ、オカルトは! そこまで無意味なもんじゃない!」
「くっ……」

長いにらみ合いの末、男はレールガンを下げた。

「いいだろう、今回は見逃す。だが次はないと思え。赤コワ、あんた狙われてるからな」
「狙われてる? 誰に? 政府か」
「そんな末端じゃねぇよ。もっともっと上にいる本当にやばい連中にだ」

組織と聞いて、二つ三つ思い当たる。世界を裏から牛耳ってる団体のどれかだろう。あれか、あれか。謎を深追いして失踪してしまった先達は何人もいる。ついに私も危険人物にエントリーされてしまったということか。
男が立ち去った商店街は不気味なほど静まり返っている。遅れて押し寄せてきた恐怖に総毛立つ。私は逃げるようにその場を離れた。


という妄想でした。またこのパターンか。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。ありがとうございます。

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  1. 2017/08/21(月) 23:18:46|
  2. オカルト

妖怪の正体は……人間?

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豆腐小僧。行動・豆腐を届けに来る。画像はWikipediaより

今回から妖怪も取りあげていきます。なぜなら妖怪こそが不思議の化身だからです。

妖怪とは奇妙な姿形で不気味なもの。関連書籍を読めば不思議と記憶に残るエピソードがあったりして怖いだけでもない。妖怪によっては豆腐を届けに来るだけとか、よくわからんのもいる。
実体が岩や木や道具だったりする妖怪もいて、全然ピンとこない。かといって現実に祀られているものを粗末に扱うとよくないことが起こりそうな気もするから、とりあえず神社で見かけたら手を合わせておく。

総じてなんだかよくわからない。

そうです。それが妖怪です。昔の人もそうでした。なんだかよくわからないのです。しかし彼らの中にこそ、人々の暮らしの知恵や恐れや偏見が投影されており、人間が人間を知るためのヒントが隠されているのです。

では妖怪第一弾は一つ目小僧。

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目一つ坊(一つ目小僧)。画像はWikipediaより

江戸時代の文献によく出てきます。
妖怪を信じない人は、こんなやついるわけねーと思うでしょう。

では考えてみましょう。江戸の人々は、なぜこんな奇妙な姿のものを思い描いたのでしょうか。作家さんたちがネタ不足に苦しんだあげく奇怪な生物を生み出してしまったのでしょうか。その可能性はあります。想像の産物かもしれません。

しかしこんな説もあります。

日本には古くから“たたら製鉄”という製鉄法がありました。日本固有の製鉄法で1000年以上の歴史があります。

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たたら製鉄による踏みふいご。画像はWikipediaより

映画もののけ姫にも同じタタラ場のシーンがありますね。あれも踏みふいごという送風機で、燃焼に必要な空気を送り込んでいるシーンです。
この製鉄に従事した人々の崇めていた鍛冶の神が、一つ目の神でした。製鉄に従事していると長時間高温の炉を見つめるので、従事者は目をやられるのです。
ところでギリシャ神話にはサイクロプスという巨人もいます。この巨人も鍛冶の神です。

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ギリシャ神話のサイクロプス。画像はWikipediaより

日本とギリシャ。遠く離れますが、遥か昔にギリシャ神話が日本にも伝わってきたのでしょうか。ロマンのある話です。

こういう妖怪もいます。一本だたら、という一つ目、片足の妖怪。ペルソナなどのアトラスゲームでその存在を知った人もいるのではないでしょうか。

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一本だたら。画像はWikipediaより

上記の踏みふいごを見てわかるとおり、製鉄従事者は目と同様、足も酷使するので足が使い物にならなくなってしまう。この一本だたらも製鉄従事者を表したものと言われることがあります。“たたら”なんてそのままですし。


さて、ここまでは事実を羅列してきました。ここからは、思い込みで語るオカルティストになります。

仮に二匹の妖怪が製鉄従事者を表したものだったとすれば、製鉄従事者とはどのような人々だったのでしょうか。

鉄は包丁、農具、工具、建築や戦争、あらゆるところで必要になります。だからこそ1000年以上に渡って作られ続けてきました。
製鉄は危険かつ過酷な作業ですが、誰にでも出来る仕事ではありません。専門的な知識と技術を要します。となれば、農村からちょっと人を集めてというわけにはいかない。農村から派遣されて製鉄に携わった人はいたかもしれませんが、基本的には技能を持った人たちが担っていたと考えるべきです。彼らは原料の砂鉄や木炭を得られる山間部に居を構えていました。

そして農村の人たちはそんな彼らをお化けでも見るような目で眺めていた。
江戸時代になると、製鉄従事者は妖怪となって登場します。そこにはやはり偏見があったと言うべきでしょう。
一つ目小僧や一本だたらの真相はそんなところかもしれません。

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大板山たたら製鉄遺跡。画像はWikipediaより

製鉄従事者をサンカと結びつけて考える人もいます。
サンカ。聞いたことのない言葉ではないでしょうか。歴史小説が好きな人なら知っているかもしれません。

サンカとは山間部に住み、川漁や竹細工を作って生活していた人々です。戸籍を持たない漂流民で、その実態は謎に包まれています。

明治期にはおよそ20万人いたとされているので、明確に身分が分けられていた江戸以前はもっと大勢いたかもしれません。
川漁や竹細工のような小物を作るだけで生活の糧が十分だったとは到底思えない。ひょっとするとサンカが製鉄に携わっていた人々なのでは? という話を聞いたことがあります。

サンカは生活の実態が把握できないほど情報に乏しく、彼らが発生した経緯にも諸説あります。
飢饉によって山へ移り住んだ人々がそのまま定着した説や、弥生時代にヤマト王権によって滅ぼされた勢力の生き残りであるとする説。そんな漂流民などはなく、サンカはただ一時期山間に住んでいただけの人々とする説。

いろいろありますが、彼らが存在したことは確かなので、その解明が待たれるところです。
教科書に載らない歴史として、とても興味深いですね。

妖怪から話が逸れてしまいましたが、一つ目小僧や一本だたらの姿に製鉄従事者を忌み嫌う心理が投影されているとすれば、自然、妖怪の姿にも物悲しさが漂ってきます。

ということで妖怪の正体は偏見の生んだ産物ということになりそうです。今回はそんなところで。


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  1. 2017/08/18(金) 19:52:22|
  2. 妖怪

卑弥呼の正体が判明か!邪馬台国論争の決着は近いかも!

歴史に興味がない人でも、女王卑弥呼の名は聞いたことがあると思います。
3世紀の半ば卑弥呼(???~248年頃)が治めていた国が倭国であり、その都市のひとつが邪馬台国だったと考えられています。

縄文時代、弥生時代、古墳時代と続く一連の時代は史料がほとんどないため歴史学者は中国の文献や、後年に書かれた古事記(8世紀)や日本書紀(8世紀)を頼りに、考古学者は古墳や遺跡を調査し、手探りで当時のことを探っています。

そんな謎だらけの時代において、江戸時代から続く論争があります。

邪馬台国は一体日本のどこにあったのか、その地域巡る論争です。

きっかけは邪馬台国を紹介した魏志倭人伝のこんな記述でした。

魏とは中国の三国時代の魏です。コーエーゲームが好きな人には馴染みの深い国ですね。近頃は曹操様もいろんな姿になってますなー。

239年(魏志倭人伝)
「倭人は帯方の東南の大海の中にあり─郡より倭に至るには海岸に循いて水行し─始めて一海を渡り、千余里にして対馬国に至る。伊都国から南のかた邪馬台国に至る。水行十日、陸行一月

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魏の使者が邪馬台国までのルートを示しています。伊都国まではおおよそ道筋が判明しているものの、問題は伊都国から南へ水行十日、陸行一月の記述。

水路で十日、陸路で一月という距離をそのまま南への道で考えると、九州を飛び越えて遥か先の太平洋に出てしまうのです。

これは方角の記述ミスで、南ではなく東と書くつもりだったとして邪馬台国を近畿と考える畿内説。
方角ではなく、距離の書き間違いで邪馬台国はそのまま南の九州と考える九州説。
畿内か九州か。二つの説を巡って様々な考察がなされました。


論争に決着がつかなったのにはわけがあります。
新たな出土品から真事実が次々とわかってきて、二つの説をともに後押ししたからです。

以下にまとめてみました。

九州説。
中国から渡ってきた鉄器の出土数が全国でもっとも多い。佐賀県で大規模都市、吉野ヶ里遺跡が発掘された。

畿内説。
黒塚古墳で大量の銅鏡(三角縁神獣鏡)が出土した。魏志倭人伝には銅鏡100枚を卑弥呼に送ったことが書かれており、三角縁神獣鏡がその銅鏡に該当するかもしれない。

※ただし三角縁神獣鏡は日本全国で500枚以上見つかっており、加えて中国では一枚も見つかっていないことから、日本国内で作られたという意見もあります。鏡の銘に書かれた文字が魏王朝の工房をはっきりと示しているという反論もあり、意見が割れています。

奈良県では巨大な館を思わせる建物跡、日本の全国で焼かれた(奉納された)と推定される多数の土器、6つの古墳が発掘された。(纒向(まきむく)遺跡)

で、結局どっちなの?

現在では畿内説──奈良県のあたりに邪馬台国があったと考える向きが強いです。
というのも纒向(まきむく)遺跡で見つかった古墳の一つ、箸墓古墳(はしはかこふん)の存在が大きい。

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箸墓古墳。画像はWikipediaより

これまで日本で古墳が作られ始めたのは3世紀末か4世紀初頭と考えられてきましたが、箸墓古墳の作られた時期はそれよりもっと古い日本最古の古墳であることがわかってきたのです。
そうなると邪馬台国を治めていた卑弥呼の墓も、古墳であった可能性が高い。
しかも箸墓古墳の後円部の直径が、魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の円墳の直径と一致するというのです。

日本書紀には箸墓古墳が倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)の墓であると書かれています。ヤマトトトヒモモソヒメは第七代孝霊天皇の皇女で、巫女的な性格が強い人物でした。

このヤマトトトヒモモソヒメこそが卑弥呼である可能性があるのです。

卑弥呼の後継者の台与(トヨ)やその後を継いだ男王の墓だという説もありますが、いずれにせよ箸墓古墳の大きさ(全長278メートル)から考えても、よほどの権力者であったことに違いありません。纒向(まきむく)遺跡の6つの古墳は最古のヤマト政権を担った者たちの埋葬地なのです。

じゃあ九州説は間違いなの?

邪馬台国の所在地という点では畿内の可能性が高いですが、九州~畿内までの一帯が有力者同士を結んだ倭国の連合国家だったと考えられているので、九州もまた卑弥呼の統治下だったとも言えます。邪馬台国は倭国の首都というようなイメージが適当でしょう。
古墳時代にヤマト王権として確立したと思われていた政治基盤は、卑弥呼の時代にも形を為していたと思われるのです。(注、異説あり)

邪馬台国が畿内が魏志倭人伝ではどうして南と書いたの?

卑弥呼と国交を結んだ魏の国の南方には呉の国がありました。呉の国は魏の北方の高句麗と結んで魏を挟み撃ちにしようと考えていました。
そんなときに邪馬台国からの使者が魏にやってきたのです。魏にとっては絶妙のタイミングでした。
魏は呉の近くの海上に邪馬台国があると思わせることで呉をけん制することを思いついたのです。

それが日本列島の位置を実際よりも南へと押しやる記述へとつながります。
つまり魏は邪馬台国の位置を実際よりも南にすることで、政治的、軍事的に利用していたと推測できます。
実際、呉の孫権が皇位についた230年、呉は南東平定のために水軍を派遣しています。しかしそこに邪馬台国はないので徒労に終わります。

その後、魏は邪馬台国の卑弥呼に破格の待遇を与え(239年)、魏志倭人伝の南という記述へとつながっていったのだと考えられます。


長々と書いてきましたが、最後に一言。
縄文、弥生、古墳と続く時代はある意味でどんな想像でも許される度量の深い時代ですので、気になるところがあれば是非自分でも調べてみてください。意外な発見があって面白いですよ。

参考『邪馬台(ヤマト)国・西川寿勝、白石太一郎、水野正好』


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  1. 2017/08/15(火) 07:13:31|
  2. 歴史の謎

あなたは本当にオカルティストですか?(創作)

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田舎の寂れた駅のホームを歩いていると、前を歩いてくる男と肩がぶつかった。
私は無言のまま足を止めることもなかったのだが、

「あんた赤コワさんじゃないかい?」

えっと思って振り返ると、リーマン風の男が私を見ている。知らない顔だ。濃い顔に似合わず、つぶらな瞳が印象的だった。

「やっぱりそうだ。あんたオカルティストの赤コワさんだ、見てるよ、あんたのブログ」

腑に落ちない。顔出しはしていないのだから。

「あんたさ、オカルティストを名乗ってるくせに、宇宙人もUMA、オーパーツも否定してるだろ。常識人ぶってさ」

そんなつもりはない。宇宙人は存在すると思っている。UMAやオーパーツだって証拠が出てくれば信用する。
だが呆気に取られてしまって言葉にならない。相手は見知らぬ男なのだ。

「あんたのような人にオカルティストを名乗ってほしくないね。他のオカルティストたちに失礼だ。もうブログはやめてくれ

黙っているつもりだったが、これにはカチンときた。私にだってオカルティストとしての自負がある。

「本当のオカルティストなら、なんでも鵜呑みにするんじゃなくて、怪しいものは疑ってかかるべきですよ。そうしてこそ、本物のUMAやオーパーツに辿り着けるってもんでしょ」

言葉が口をついて出た。
男はにやにやと笑う。何がおかしい。

「いいや、違うね。あんたは恐れているんだ。UMAやオーパーツを真面目に語れば、白い目で見られるから。人間性を疑われるから」
「ち、違う」
「昔のあんたは違った。持ち物が消えると妖精の仕業だと思い、人気のない路地の立てば異世界への扉が見つけられる気がしていた。幽霊を信じ、呪いを恐れていた。あらゆる場所に行ってUFOを見つけようとしていた。自分の姿を見せていたらUFOは出てこないと思って、電柱の影に潜んで空を窺っていた。輝いてたよ、あの頃のあんたは」

どうしてそんなことを知って……疑問が頭をかすめるが、それ以上に私は男のかもし出す不思議な雰囲気に呑まれていた。

「もう子どもじゃないんですよ、私は。そんなこと……」
「大人になったって言いたいのかい? 違うね、余計な知恵が身についちまったのさ。昔のあんたは常識よりも、怪しいものやうさんくさい話を信じていた。そっちのほうが楽しかったから」
「楽しいなんて……それが何になるんですか。願望よりも真実でしょう」
「そう、そうだな。オカルトには嘘が多くて、何度も何度もいい加減な話に関わってるうちに、あんたはそんな人間になっちまったんだな。あんたのせいじゃないのかもしれない」
「好き放題言って、あなたは誰なんですか」
「俺かい、俺は──」

ピカー! う。目を開けていられないほどの光が男から放たれていた。細くなった視界の先で、爬虫類のような風貌が形作られていく。まさか……そんな、まさか……。光が収まるとそこにレプティリアン(恐竜人間)がいた。私が信用してなかった存在の筆頭だ。

「信じないから見つけられなかったのさ、今まで……でもそう言うと、あんたは人間原理がどうとか言い出して、きっと納得しなかったんだろうな」
「信じる……信じるよ、だって目の前にいるんだから!」
「もう遅いね、ここでお別れだ。せいぜい常識の枠内の記事を書くんだな」
「待って! 私は、本当はっ! あああ、レプティリアーーーン! 行かないでくれー! 待ってー!」

膝をつく。レプティリアンは消えた。涙があふれてとまらない。私は間違っていたのか。レプティリアンを信じてあげられなかったから。これまでの記事内容が悔やまれる。もしレプティリアンと真摯に向き合えていたなら今頃は……。涙、ぼとーん、ぼとーん。鼻水ぶしゃあ。


という妄想を駅で男性とすれ違ったときにしました。こういうことが絶対にないとは言い切れない。言い切れないので、今までの自分を少しばかり戒めようと思いました。
頭に疑問符だけが残ってしまった人へ。最後まで読んでくれてありがとうございます。それで正解です。ごめんなさい。

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  1. 2017/08/12(土) 00:27:58|
  2. オカルト

詳細求む、弾痕のある頭蓋骨!

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画像はWikipediaより

1921年、アフリカ南部のイギリス植民地ローデシア(現ザンビア共和国)のブロークンヒル鉱山で、鉱山労働者が化石になった人間の頭蓋骨と手足の骨を地中から掘り出しました。年代測定の結果、この化石は30万年~12.5万年前に生息していた旧人で、国の名を取ってホモ・ローデシエンシスと名づけられました。

ローデシエンシスとはヒト属の一種で、現在ではホモ・ハイデルベルゲンシス(60万年~40万年前)と同一か亜種と見なされている。ハイデルベルゲンシスは大柄な種族で男性の身長はおよそ180センチ、体重は100キロもあり、石器を使って狩猟を行っていた。

そのローデシエンシス(以下ローデシア人)。

驚くべきことに頭蓋骨の左側面に、なめらかな円形状の穴が空いていたのです。
当時の石器──石槍や矢じりによってついた傷でないことは明らかでした。かといって死後、虫や獣によって開けられた穴とも違うようでした。

これはどういうことでしょう?

誰もが首をかしげるなか、この問いに答えた人たち(オカルティスト)がいました。
「この穴は弾痕である。銃で撃たれた痕にそっくりだ。文明化された人類が10万年以上も昔にタイムリープし、ローデンシア人を撃った。それか古代文明か宇宙人の仕業だろう」

確かに頭蓋骨左側面の穴は、銃の貫通した痕にそっくりでした。鑑定したベルリンの法医学者や銃死体を見なれている警察関係者も、弾痕に似ていると結論づけました。

この頭蓋骨は右側が破壊されているという話もあって、だとすれば左から入った弾が内部を壊して右から射出されたことになります。その画像も探してみましたが出てきませんでした。
『恐竜と人間は共存したのか・南山宏』という本に右頭部がすっぽり欠けた写真があったので、どこかにあるのかもしれません。

この謎の答えとして虫歯や歯周炎といった病理的な原因で穴が空いたという説明がなされることもあります。虫歯の感染症による内部からの破壊なのかもしれません。

虫歯の感染症が原因と考えたとしても、しかしまだ続きがあります。似た頭骨がもう一つあるのです。

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オーロックスの頭骨。画像はINQUISITRより

旧ソ連の構成国の一つだったアルメニアのレナ川付近で数万年前の地層からオーロックス(牛の祖先)の雄の頭骨が掘り出されました。

この頭骨にもなめられかな円形の穴が空いていました。
虫歯によってこの位置に穴が空くことはありません。この穴は治っていた形跡があるので、このオーロックスは傷では死ななかったことがわかっています。

これ、何が原因でしょう。これも何かの感染症でしょうか。
情報が少なくどうにもお手上げです。何か知っている方がいたら連絡ください。お待ちしています。

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  1. 2017/08/11(金) 00:07:16|
  2. オカルト

モアイ像は誰が何のために? イースター島の謎。

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画像はWikipediaより

モアイ像とは、イースター島で発見された謎の巨石像。10世紀~17世紀にかけて島の凝灰岩で作られた。全部で900体ほどがあり、作りかけのものや、運ぶ途中のものもある。大きさは5~8メートルものが大半だが、なかには20メートルに達するものもある。その重量は200トン以上にもなる。

誰が作ったの?

島に運搬に適した植物が見つからなかったことと、その膨大な数から人の手によるものではなく宇宙人が作ったものだと言われることもあったモアイ像。
しかし作りかけの像が存在することや、土中の花粉を分析した結果から運搬に使われた植物(ヤシ)がかつてのイースター島には生い茂っていたことがわかってきて、近年では西から移動してきたポリネシア人によって作られたと考えられています。

紀元前3000年ごろ、ユーラシアから海を渡ってインドネシアに達した人々が、定住しつつ徐々に東へ向かって移動していきました。紀元前1300年ごろにトンガ、フィジー、サモアに移り住んだ人々が1500年の時をかけてポリネシア文化を発展させ、その後、ハワイやニュージーランド、イースター島に移っていきました。

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イースター島は赤丸のところ

イースター島は南米のペルーやチリと近いですが、住んでいたのは西から渡ってきたポリネシア人でした。といっても、南米のインカ帝国との関わりはあったかもしれません。南米というと、ナスカの地上絵やマチュ・ピチュを思い出しますね。大空や太陽に対する信仰があった地域です。
イースター島には岩に描かれた鳥の絵があったり、渡り鳥の卵を泳いで取ってくる鳥人の儀式がありました。

何のために作られたの?

モアイ像の台座から大量の人骨が見つかったことで、像は墓碑の役割を果たしていたとも考えられていますが、決定的な答えはまだありません。海に背を向けて立っているものが大半であることから、島を見守る守り神のようなものだという説もあります。

最初のモアイ像が作られたのは10世紀ごろと言われています。
初期の像はさほど大きなものではなく、今日よく知られる巨大かつ整った顔立ちの像は15~17世紀に作られました。運搬に使われるヤシを伐採したことで島から植物は消え、その後のヨーロッパ人による奴隷政策や伝染病によって島民は消え去りました。
そして、島には「何のために」という謎だけが残ったのです。

モアイ像の数はおよそ900体もあり、島民の数は6000人ほどだったと考えられています。数百年の歳月を費やしたにしろ、このモアイ像の数は島民比で考えると多いと言わざるを得ません。大変な重労働です。島の自然も破壊されていきます。

そこまでしてポリネシア人が必要としたものは何だったのでしょう。
宗教的な意味合いがあったのでしょうか。守り神だったと考えるなら、海の向こうから来る何かを恐れていたのでしょうか。不思議です。皆さんもぜひ考えてみてください。


さらなる謎? ロンゴロンゴ

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画像はWikipediaより

19世紀、イースター島で記号とも文字とも知れない絵が記された木版が見つかりました。詠唱のための線という意味で、コハウ・ロンゴロンゴと呼ばれています。しかしイースター島の人々は文字を持たない文化でした。
これは一体どういうことなのでしょう。

さらに驚くべきことに、ロンゴロンゴの文字は、紀元前2300年ごろに使われたインダス文字との類似が認められました。インダス文明といえばインド、パキスタンの辺りにかけて紀元前に栄えた文明です。イースター島とは場所も繁栄した時代もかけ離れています。インダス文字の総数396のうちおよそ100種がロンゴロンゴに使われていました。インダス文字も未解読文字です。

そこで仮説となります。
現在考えられているのは、ロンゴロンゴはイースター島に住んでいた人々が古くから用いていた(絵)文字ではなく、18世紀、ヨーロッパ人との関わりのなかでもたらされた文字ではないかという説です。
インダス文字を知る布教師が、イースターの島民に文字の存在を問いただし、しだいに島民に絵や文字といったものが行き渡っていったのではないか、と。それは立場の弱い島民が布教師を満足させるために生み出したものだから、衝撃的かつ摩訶不思議な古代文明の文字が選ばれたのではないかとする説です。

似たような話は他の地域にもあります。
ある少数民族のなかで暮らした旅人が天体の話をしたところ、数年後にそれが少数民族の神話や伝説に変わっていたという話です。その少数民族に初めて出会った人は、文明とは無縁の暮らしをしている人々が到底知りえない天体の知識を持っていて驚かされるわけです。
神話や伝説とされるものは古いもの、という思い込みからくる間違いです。

ロンゴロンゴの真偽はわかりませんが、今回は私も上記の仮説で納得しておくことにします。でも仮説は調査や発見ですぐに覆るものだし、わかりませんね、本当に。惹かれる島です。

参考『幻の超古代文明・講談社』

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  1. 2017/08/08(火) 20:04:52|
  2. オカルト

本物のオーパーツか?金属コイルのような物体。

※コイルのような金属物体とは、1991年~1993年にかけて、ロシア、ウラル山脈の南東部、ナラダ、コジム、バルバンジュという三本の川の流域で発掘された金属物体。川の流域は鉱床が多く、そこで働く採掘者たちによって堆積地層(約10万年前)から何千個も発掘されてた。

自然界には貝やその化石などが生み出す曲線や円、模様がしばしば人工物のように見えることがあります。
ロシアで見つかったコイル、私も最初は化石何かだと思ってました。
写真を見るまでは。

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画像はANCIENT ORIGINSより

コイルにしか見えません。
ラセン状の物体の内部には軸も通っていて、大きさは最大で3センチ、小さいものは0.003ミリ。小さいものは顕微鏡でしか見えません。
この金属コイルは1993年にロシア科学アカデミー、貴金属地質調査科学研究センター、同アカデミー所属の二研究所、隣国フィンランドの民間研究所に持ち込まれて分析調査にかけられています。

分析の結果、サイズの大きなものは銅製で、ミリ以下の小さなものはタングステン、モリブデンなどの希少金属であることがわかりました。
希少金属は加工が難しく、これが本当に10万年前の地層から見つかったものなら、とてつもない代物です。

調査責任者の地質学者エリナ・W・マトベジェワ博士は以下のように調査報告書を締めくくっています。
「ここにまとめた全データは異星文明を起源とする可能性を示している」

しかし、各学会はこの発見をほとんど無視。
ネット上にも金属コイルに関する報告はほとんどありません。

うーん。どうもおかしい。
この件に関して、私の頭を掠めたのは、メキシコで発見された恐竜土偶の一件です。

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画像はWikipediaより

※恐竜土偶とはメキシコのアカンバロで見つかった粘土の置物。その数は33000体にも及び、恐竜のような生物の置物もある。

年代測定では紀元前1000年~4000年という結果が出たが、古い地層の土を使えば古い年代の測定結果が得られることや、生物として成り立たない形状、発掘調査地の埋めなおし跡などが指摘されている。発見者のドイツ人は地元の農夫から(おそらく何も知らされず)買い受けていた。

こういうことがあったのです。
これと同じように金属コイルも故意かどうかは別として、後から地層に混入したものではないでしょうか。情報が少ないので詳細は不明です。

話は変わりますがロシア、ウラル山脈といえばこういうこともありました。

ロシアには他にカンブリア紀の金属ボルトと呼ばれるオーパーツもあるようです。本当は金属ボルトのほうを探していたのですが……これとは別物のようです。

オーパーツのランクは徐々に修正したり変更したりしていきたいですが、金属コイルについては変更なしにしておきます。

参考『恐竜と人間は共存したのか・南山宏』



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  1. 2017/08/06(日) 13:43:39|
  2. オカルト
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