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不思議なものを追いかける/らせんの宿、phantom twins、小人戦記ザキ/DMM TELLER様あの晴れた日の向こうで

自衛隊員も目撃していたUFO!

元自衛隊空将・南西航空混成団司令の佐藤守さんという方がいます。
軍事評論家としてテレビ出演もされているので、知ってる人もいるかもしれません。

その佐藤さんですが、実はUFO関連の著書を出版してたりもします。

パイロットとして司令として経歴を積んだ方の証言なので、こういう方のUFO話には説得力がある。

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T-2練習機。画像はWikipediaより

1983年、T-2練習機に乗った二人の自衛官が牡鹿半島に向けて帰投中、葉巻型の物体を目撃しました。
その空域は民間航空機の航空路だったので、最初は民間機かと思ったらしいのですが、飛行物体には翼がない。

しかも飛行物体は奇妙に変則飛行をしている。

異常は次の瞬間に訪れました。

内側のスポイラー(操舵翼面)と外側のスポイラーの作動が不可能になり、コントロールに異常が発生したのです。

二人は焦ります。が、電気系統と操舵系統のトラブルに追われている間に飛行物体は去り、不思議なことにそれと同時に機体は正常に戻りました。


パイロットは飛行中に起きたいかなるトラブルも整備員に説明しなければいけない。帰投後、状況を説明された整備員が機体を点検したところ、どこにも異常は見当たらない。
そこで再点検のためにパイロットの一人が再び飛び立ちました。(もう一人のパイロットは学生訓練のために参加できず)

するとまたもや葉巻型の物体に遭遇したのです。しかも前回と同じ機体異常が発生し、物体がいなくなると機体が正常に戻る。

ごく自然な考えとして、パイロットは葉巻型物体との遭遇が機体異常に関係していると報告し、整備記録に記入しました。

整備側としては困ったことになりました。機体に異常がない以上、パイロットの報告を疑うしかない。結局「パイロットが虚偽の発言をしている」という結論をだしたのです。
そう言われてもパイロット側も事実をなかったことにはできない。機体の不具合をなかったことにしてしまったら、同僚の誰かが同じ機体に乗ったとき異常に巻き込まれてしまう恐れがあるからです。
この問題は航空団内部を超えて、航空幕僚監部を巻き込む大問題に発展しました。

トラブルが起きたT-2練習機の改造機にあたるF-1支援戦闘機は全国に配備されていて、しかもF-1支援戦闘機は国産機です。もしも機体に異常が見つかったならメーカーを巻き込んだ一大事となり、その点検にかかる費用は莫大なものとなります。

そこで航空幕僚監部の担当幕僚は、司令部に二人のパイロットを呼び出し、指導によって問題の解決を図ろうとしました。二人のパイロットは油を絞られ、一切の他言無用を言い渡されたのです。
『自衛隊隊員が接近遭遇したUFO』より。


この一件は当時の松島基地では有名なUFO騒動だったらしいです。

こういうことがあるんですねえ。

民間機でもUFOを見たなんていうと精神異常を疑われ、地上勤務に変えられるという話を聞くし、仮に目撃したとしても見なかったことにするしかないのでしょうか。
不確かな宇宙人像が広まったために、一番迷惑を蒙ってそうなのが、現場のパイロットのような気がします。宇宙人でなくとも未確認飛行物体という本来の意味でのUFOなら、空で見かけても全然おかしくはないのに。米国なんてそれこそ詳細な記録を取ってます。

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ステルス機、衛星、渡り鳥、ドローン、高高度気象観測用の気球、積乱雲、逆光を浴びた航空機等々、UFO(宇宙人の乗り物)と見間違えやすいものは確かにあります。

でも訓練を受けたパイロットがそうそう安易に謎の飛行物体という結論は出さない。これは佐藤守さんも断言しています。
適性検査をくぐり抜け、その後も論理的な思考をするよう様々なテストを受けた人たちですから。

この事件は誰も嘘をついていないからこそ、未知の現象を突きつけられた一件という気がします。
UFOを空の現象として調査する気風が高まればいいですね。


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  1. 2017/09/18(月) 18:10:27|
  2. オカルト

シンゴジラのレビューと尻尾の謎解き

シンゴジラのレビューです。
今頃? と言われそうだけど、先週レンタルで2回目を見たので。
良い映画は何度見ても面白いです。

昨年興行収入が80億円を突破し大ヒットとなったシンゴジラ。
大ヒットの理由を考えてみたのだけど、それは子ども向けの映画にしなかったことに尽きると思います。

怪獣映画はそもそも怪獣の存在そのものが非現実的で、どうしても安っぽくなるか子ども向けの内容になりがちだけど、日本の法規に照らし合わせた日本政府の対応とゴジラの設定とを丁寧に演出することで、リアリティが生まれている。脅威が迫っているのに必要な手順を踏まなければ何一つ決められない日本の制度など見ていてじれったくなるほどだった。

ゴジラの設定も、ゴジラが生物である以上、ミサイルが命中したなら死ななければならないところを、ゴジラを神の化身としてリメイクすることで脅威に説得力を持たせている。それも単に無敵の怪物という言葉だけの設定ではなく細部に凝っているため、見ているほうは「なるほどなー」と首肯しまう。

今回のゴジラは放射性物質をエサとし、人類の8倍の遺伝情報を持ち、地球上でもっとも進化した生物。体内に原子炉のようなものを有していて、血液流を冷却システムとしている。背びれは放熱板。

現実的な世界を作り上げながらも、こうした細かい設定のおかげで、ゴジラの存在が浮いていない。

さすがは庵野監督です。
庵野監督といえば『エヴァンゲリオン』ですが、他にも『風の谷のナウシカの巨神兵』や『蛍の墓』に出てくる艦船を描いたことでも有名です。ファンの間では『王立宇宙軍』というアニメのロケット発射シーンが有名でした。メカニック畑の方なんですね。

今回のゴジラも生物というよりはロボットに近い。というより使徒です。音楽もゴジラの神秘性とぴったり符号していて迫力がありました。エヴァンゲリオンに使われていた音楽もそのまま使われてたような?

ひとつひとつのカットにもこだわりが感じられました。ゴジラが口から放射能ブレスを吐くシーンではむき出しの眼を守るために瞼を閉じたり、ブレスの火力が弱まってきたら赤い炎になったり、短いカットに細かい状況説明がふんだんに盛り込まれてます。
一方でテンポが早く見逃してしまうシーンも多いので、初見では何をしているのかわからないシーンも。
その点、マニアックというか尖りすぎていて好みの分かれるところでもあるけれど、私はこの手の怪獣映画は万人向けに製作していたら大ヒットはなかったんじゃないかなという気がします。

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日比谷ビル北側のゴジラ像

ゴジラの尻尾から出ている人型の物体は何?

映画の最後で活動を停止したゴジラの尻尾がアップになります。
その尻尾に何体もの人間らしきものが飛び出していて、昨年映画が上映されてから様々な憶測を呼ぶこととなりました。

あれはゴジラに吸収された人間ではないのかとか、太平洋戦争で亡くなった英霊たちではないのか、ゴジラの子どもではないのか等です。

ゴジラに吸収された人間という推測はあり得るような気がします。ゴジラが死者を吸収していても特に不思議はないですからね。逆に英霊はちょっと考えづらい。
日本の国土を壊しながら進むゴジラですから、現代日本への警鐘という側面はあると思いますが、戦争やイデオロギーを匂わすシーンは特にない。庵野監督自身も作品に思想的なメッセージを込める方ではないような気がするので、おそらく英霊ではない。

一番あり得そうなのは、ゴジラの子ども。進化という言葉が何度も出てくる映画なので、映画の流れを考えれば、人類にしてやられたゴジラが新たな進化を遂げようと人型の子どもを産みだした、と考えるのはもっとも違和感が少ない。

ホラー映画では、倒れたはずの怪物が最後に復活を示唆して終わりというパターンが王道ですし、人型の物体も次なる脅威と考えるのが自然かなと思います。

ただ、実はまだ何も考えていないという線もあるのかなと。創作に関わる人に共通した思いですが、作っているうちに作品を終わらせるのが惜しくなってきて、あわよくば次回作につなげたいとの思いがにょっきりと鎌首をもたげてくる。まあこれはうがった見方でもありますね。
謎の考察は映画の楽しみの一つなので、ひょっとしたら庵野監督からのサービスなのかもしれない。

ということでシンゴジラのレビューでした!


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  1. 2017/09/13(水) 06:48:00|
  2. フィクション映画・小説

ツチノコの正体はヘビ?トカゲ?それとも……

今回はツチノコです。
ツチノコとはこんな姿の生き物です。

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画像はWikipediaより

UMA(未確認生物)であり、妖怪(後述)でもあるという二つの属性をそなえています。妖怪でも目撃例があれば未確認生物に含まれるので、河童や人魚も同様です。

1970年代、各地でツチノコの目撃情報が相次ぎ、一大ブームを巻き起こしました。地元をPRしようと町村がツチノコブームに便乗し、ツチノコに賞金をかけていたりもしていたそうですから、ブームの大きさが窺えます。

そのツチノコ。正体は何だったのでしょうか。
現在までツチノコが発見されることはなかったので、何かの見間違えと思われますが、一体何を見間違えたのでしょう。

いくつか候補が挙げられます。


まずはヒメハブ。
ヒメハブ
画像はWikipediaより
奄美群島、沖縄諸島に分布。

コモンデスアダー
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画像はWikipediaより
オーストラリアに分布。

ニシアオジタトカゲ
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画像はWikipediaより
インドネシア、オーストラリア、パプアニューギニアに分布。
アオジタトカゲ、これが一番ツチノコの特徴を捉えてませんか!?


と言っても、このツチノコ。
ルーツを辿れば江戸時代以前に遡るので、近年持ち込まれた外国の蛇や一部の島の固有種ではないかもしれません。

古くは野槌(のづち)と呼ばれていました。地方ごとに呼び名があって、バチ蛇、ツトッコ、五八寸、俵蛇、コロ蛇、ドテンコなんて呼ばれてたりもします。共通するのは胴体が短いこと。

鳥取県の三朝(みさき)町には「槌転び」という妖怪の話が伝わっています。槌とは現代で言うところのハンマーで、柄のないハンマー状のものがコロコロ転がって、人間に噛みついたと言われています。『怪しくゆかいな妖怪穴・村上健司』より

ツチノコを漢字で書くと槌の子。野槌からきています。

さてそうなると、私たちのご先祖が見ていた野槌とは何だったのでしょうか。
皆さんはどう思います?


私は生物としての蛇なんていなかったんじゃないかと思います。小動物を丸のみにした蛇を野槌と誤認することはあっても、蛇そのものはいなかった。

野槌は山の精霊とされていて、元々は蛇の形でなかったかもしれません。江戸時代(1779年)の今昔画図続百鬼(こんじゃくがずぞくひゃっき)では、こんな姿で登場しています。

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画像はWikipediaより

直径15センチ、体長1メートルほどで目鼻がなく口しかない。小動物や、ときには人間を襲って食べる。
この特徴を現実の生物に当てはめようとすれば、蛇が適任だったので、いつしか野槌は蛇となり、イメージが固定化していったのではないかと私は考えています。

1712年に書かれた和漢三才図会(わかんさんさいずえ)では野槌蛇と「蛇」の文字が見られますが、1779年の今昔画図続百鬼で上記のように描かれていることから、江戸時代にはイメージにばらつきがあったことがわかります。


野槌の真相はわかりません。胴体の短い蛇がいたのかもしれないし、野槌のモデルになった別の生物が存在したのかもしれない。
各地に言い伝えがあるわけですからね。気になる人はその正体を追いかけてみてください。
そして何かわかったらぜひ教えてもらいたいです。


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  1. 2017/09/08(金) 20:55:21|
  2. オカルト

謎・なぜその話を思いついた「タンタンコロリン」

突然ですが皆さんは「柿の精霊」と言われたら、どんな姿を想像しますか?
柿らしくオレンジ色の服を着た小人でしょうか。フェアリーのように背中に羽のついた愛らしい姿でしょうか。

さて、今回は宮城県の仙台に伝わる妖怪タンタンコロリンです。

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タンタンコロリン。画像はWikipediaより

この姿は漫画家の水木しげる先生が想像した姿です。
柿の実が怒った顔のようにも見えますね。
妖怪の姿はその逸話からイメージされたものなので、怒りに相応しい恐ろしげなエピソードがあるのでしょうか?

佐々木喜善という人の「聴耳草紙」には、こんな話があります。

ある屋敷に豊かに実った柿の木があった。
屋敷で働く女はその甘そうな柿を食べたいと思っていたところ、夜中になって真っ赤な顔の大男がやってきた。
何事かと思っていると、大男は「俺の尻を串でほじくれ」と言ってくる。
女が恐る恐る尻をほじくると、今度は「それを舐めろ」と言ってくる。
しかたなく舐めると、なんと甘い柿の味がした! という話です。


すごく汚いです。

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水木先生が憤怒の形相で描いたのは、強制してくる妖怪だから強面でなければ務まらないと考えたのでしょうか。

それにしたって、どうしてこんな話が伝わってきたのでしょう。
実った柿は腐る前にさっさと食べなさいという教えでしょうか。
にしても、もうちょっと他に話の作りようがあったんじゃないかと思います。

と書いていて、はっとしました。思い出したのです。昔、Yahoo知恵袋で「お尻に乾電池が入って取れなくなった」という悩みが異常に盛り上がっていたのを。(検索すれば出てくると思います)
お尻から始まる幸せや不幸に私たちは老若男女を問わず魅せられるのかもしれない。
このセンスは昔も今も共通してるのかも?


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  1. 2017/09/06(水) 21:27:58|
  2. 妖怪

水木しげる先生から教わったこと。驚愕の世界

以前の記事では、妖怪は人の偏見の産みだしたものと書きました。
元々は人間であり、それが妖怪というわかりやすい形で物語のなかに組み込まれていったものだと。

しかし妖怪の種類は様々で、その全てが人間に端を発したものではありません。

中国の伝承が日本のイメージに置き換えられて信仰の対象となったものや、人々の暮らしのなかから生まれた妖怪もいます。

たとえば暗い夜道を歩いていると、後ろから誰かが付けてくるような気がして、振り返ると誰もいない。山を徘徊する動物のガサゴソという音を、過敏になった聴覚は自分の後ろを付けてくる何者かと錯覚することだってあるはずです。

べとべとさんなんて妖怪もいますね。

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べとべとさん。画像はWikipediaより。
 
特に危害を加えるわけでもなく、人の後ろを付けてくる妖怪と言われています。
こういうのは人の抱える不安や恐怖心が顕在化したもので、暮らしのなかから生まれた妖怪と言えるでしょう。

こちらは以前の記事でも登場した豆腐小僧。

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豆腐小僧。画像はWikipediaより。

豆腐小僧が生まれた経緯は諸説あります。

江戸庶民の間で豆腐が流行った時期があるので、何かの手違いで豆腐が長屋に届けられる事件が頻発し、それが豆腐を運んでくる妖怪のイメージになった……なんてこともあるかもしれませんね。
 
似たようなことを経験した人が増えれば、それに名前がつき、やがて形が宿ります。
妖怪の正体とは人間そのものであり、人間の心理であり、人々の暮らしであり、伝承であると言えます。

私はこの解釈で納得していました。、
でもこの頃どうも、それだけではないような気がしています。

というのも水木しげる先生。
水木先生といえば言わずと知れた妖怪の大家ですが、先生は妖怪を精霊と位置づけています。

精霊。先生によるとそれは心霊ともまた違っていて、ただそこに「あるもの」

これを知ったとき私は混乱しました。全く思いもしなかった。
同じことを別の人が言ったなら、気にしなかったと思います。解釈の違いとして受け止めていたはず。
けれど、妖怪の大家たる水木先生の言葉です。

一体どういうことなんだー。

先生は人生で3回(4回かも?)妖怪に出会ったことがあるそうです。子どもの頃に上記のべとべとさん、太平洋戦中にぬりかべのような妖怪、自宅の近くで何かの妖怪(前に先生の著書で読みましたが名前忘れました)。

先生の妖怪に対する理解は変わっていて、妖怪に出会った直後はその妖怪の名前がわからず、後になって江戸時代の浮世絵師、鳥山石燕の描いた妖怪画を見て自分の遭遇した妖怪を知るという経緯をたどっています。

妖怪の絵を見た後で、そのイメージが頭に残っていて、何かを見間違えるということはあります。特に子どもにはよく見られることです。

ですが先生は全く逆。未知との遭遇が先にきています。

先生の著書は何冊か読みましたが、水木先生ご自身にはスピリチュアルなところがまったくありません。実直で素朴でお茶目な人柄が文書や態度から垣間見えます。だからこそ、私はますます混乱してしまう。

妖怪とは精霊なのだろうか。何か霊的なものが、この世に存在しうるのだろうか。

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我々の意識は現実の全てを捉えてはいない

2017年4月カナダのバンクーバーで「The Future You」と題して未来や気候変動、AIについて話し合うTED2017が開かれました。
ここでセックス大学サックラー意識科学センターのアニル・セス博士は興味深い話をしています。

実験でまず、
①「ブレグジットはほんとうにひどいアイデアですね」という音声を用意し、被験者に不明瞭で聞き取りにくい音声を聞かせる。

次にはっきりした音声を聞かせる。

その後で不明瞭な音声を聞かせると、被験者は不明瞭だった音声をはっきりと聞き取れるようになったというのです。

脳に届いた感覚情報は変わっていなくとも、不明瞭な音声がどう聞こえるかを予測するための情報を脳は獲得したという実験結果です。

また別の実験では、被験者の鼓動に合わせて、光を明滅させると、被験者はその光を自身の身体が発するシグナルと錯覚したそうなのです。
予測が間違った方向に働くと、わたしたちは自身を誤って感知するらしいのです。
セス博士は「すべては経験は生き続けるという根底的な欲求から生まれ、私たちは私たちの体のなかに世界を見る」と述べています。

驚愕です。
脳は声でないないものを予測によって声として理解し、自分の発するシグナルでないものを自分として錯覚したのです。

世界とは自分であり、私たちは自分を通してでしか世界を認識できない。しかも上記の実験結果から私たちの脳の予測システムはそれほど精度の高いものでもないことがわかります。

世界を見る過程で、生存に不必要なものは脳が感知すらしていないのでしょう。考えてみれば電波や放射線や粒子の挙動など機器を通してでしか感知できないものは多々あります。昆虫や爬虫類のほうが優れている感知機能だってあります。

ひょっとすると人類には見えていない世界が広がっているのでしょうか。
そうすると、いるのでしょうか、精霊も。

私は精霊が見えない人間なので、精霊がいるともいないとも言えませんが、この話を知ってから、妖怪=精霊という説も一考に値すると思うようになりました。脳の予測のエラーか何かで、精霊が見えてしまう人間がいても不思議ではないような気がします。


ということで今回は妖怪は「精霊」かもしれないというお話でした。

皆さんは妖怪って何だと思いますか?


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  1. 2017/09/05(火) 07:06:54|
  2. 妖怪

好きなことで生きていくのは大変だよ!

今回は就職を目前にしてる学生さんたちへと題して。

この頃感じていることを。


「好きなことで生きていく」
ここ1~2年、特によく耳にするようになった言葉です。

堀江貴文さんの著書でも似たタイトルの本があるし、YouTuberのHIKAKINさんもメッセージを発してます。

不安定な時代ほど、人は力強いメッセージなびいてしまうもの。
これは心の働きであって、本人の価値観とはまったく関係ありません。落ち込んでいるときに優しい言葉をかけられると流れてしまうのと同じです。

私だって思います。
ああ、いいなぁ、好きなことをして生きていけたら。

しかしそう思う一方で、危ういとも感じるのです。
そういう生き方を選ぶ人を否定はしませんが、その仕組や根拠を示せる人がいない。

そんな仕組たって、好きなことは個人でそれぞれ違うんだから仕組なんて示せるわけないじゃん、と思うかもしれません。

でもちょっと待ってください。

好きなことで生きていく=好きなことでお金を得て生きていく、という意味ですから、好きなことが収入につながる仕組が確立されてないといけません。自分でブルオーシャンを見つけられるとか、会社で好きな仕事に没頭するという意味なら、それでいいんです。

専門的な知識やスキルや資格のある人ならフリーランスでもやっていけるでしょう。IT技術者なんて人材不足ですからね。
基幹システム、Webサイト、スマホアプリ、ソーシャルゲーム等々のエンジニアさんは仕事をやめても、今ならすぐに別の会社に入れるし、クラウドソージングでも問題なくやっていけます。ランサーズで収益を出している人の多くはエンジニアで、2020年以降もIT技術者不足、特にシステム開発の技術者不足が深刻化すると言われているので、ここは手堅いところです。他にはイラストの超上手い人で、フリーランスの人もいますよね。

問題は専門的なスキルを持ち合わせてない人。
こういう人がいきなり、好きなことで生きていくのは難しい。

ココナラさんのようなオンラインマーケットでちょっとしたテクニックや情報をシェアしてお小遣いを得ることはできても、生活していく分を稼ぎ出すには、それなりの知識とスキルが要求されます。

でもでもYouTuberやブロガーは娯楽や情報をシェアして対価を得てるよ? と思う人がいるかもしれませんね。
自分は面白いことができるし、とっておきの情報だってある、と自信を持ってる人だっているでしょう。

しかし一つや二つの持ちネタで集客は難しいですし、情報なんかは一瞬で拡散されて流れていくご時勢です。そもそもYouTuberやブロガーは先行組が有利なコンテンツで、後発組が成果を出すのは並大抵のことではありません。
ごくまれに成功への階段を一気に駆けて上がってしまう人もいますが、例外中の例外です。

断っておきますが、YouTubeでもブログでも平均的なサラリーマン以上の月収を出している人はいます。ですがそれは上位数パーセントのほんの一握りの人たちです。

ブログをやってればわかることですが、大卒の初任給およそ20万円前後の収益をたとえばブログの広告費(AdSense)で賄おうと思ったら、月間のPV数が100万近く必要です。
個人のブログでPV数が100万。とにかく大変です。もっと言うならネットのエンタメ産業も、日本人がネットに費やす時間──総時間は決まっているのでパイの奪い合いには違いありません。他の人が作ったものよりも注目されるコンテンツを作り続けなければいけないのです。厳しいですよ、これは。

好きなことに没頭するのは楽しいし、勉強になることも多いし、時間がある場合や片手間でやる分にはいいです。感覚的に掴めることも多い。ただ本業に据えるのはおすすめできない。

そうは言ってもフリーランスでサラリーマンを遥かに超える収入得ている人たちが何パーセントかはいるので「好きなことで生きていく」を否定できない事情があるわけです。
なので「YouTubeやブログで生活してる人もいるよ?」と言われると「そうだね」としか答えられません。しかしそうした成功者の影には、やめていった多くの人たちがいることを忘れてはいけません。表に出てくるのは成功した人たちだけなのですから。


じゃああなたはどうしてブログをやってるのと聞かれそうなので答えておきます。

友だちがいないからです。
これまでの記事を見てもらえればおおよそ察してもらえるでしょう。オカルティストなんですよ、オカルティスト。「わーい、オカルトの人だ、好きー!」とはならない。逆に笑っていた顔がこわばり「へ、へえ」となる。だから普段は口を閉ざしてるんです。でも鬱屈としたものが体に溜まっていく。河童が好きな人だってUFOが好きな人だっているはずなのに、本当は! 本当は!

終わり。


  1. 2017/09/02(土) 06:27:29|
  2. 社会