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徳川綱吉ってどんな人?身長は?

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画像はwikipediaより


生類憐みの令のためにあれやこれや言われることの多い将軍、徳川綱吉。

※生類哀れみの令とは、生き物を労わりなさい、という綱吉の治世中に出された130回以上の指令の総称。

彼は一体どんな人物だったのでしょうか。

徳川綱吉。
徳川幕府の5代目将軍。1646~1709年。

綱吉は儒学を学び、和歌にも通じていて、現代で言うところの教養人でした。

初期は徳を重んじた善政を敷いていましたが、中年になったあたりから生類哀れみの令を出したり、老中を遠ざけて独裁的な政治を行ったりして、その評価が分かれる人物です。

生類憐みの令は悪法?

以前までは、悪法と評価されていた生類哀れみの令が災いして、綱吉の評価も低かったのですが、現代では少し見直されてきています。
というのも、その内容は老人子どもに優しくせよ、捨て子にも優しくせよ、野良犬をいたわれ、馬をいじめないように、といった道徳的、風紀的な戒めの内容も多分に含まれているからです。

もちろんそれだけではなく狩猟や漁業に関する禁止もあったので、困惑する人々も大勢いました。疫病の馬を捨てて流罪になった人、釣りをして投獄された人、犬を斬って死罪になった人も実際にいます。しかし処罰を受けた人の数は、綱吉の治世でもそれほど多くはなかったという話もあります。
綱吉の評価が見直されてきているのは、偏屈な博愛主義者というよりは、世の中の悪い風潮を改めていこうとする健全な考えが垣間見れるからです。

暮らしの事情

一方、庶民にとってみれば、たとえば犬をいじめるのにも理由があったわけで、当時は犬による害が続くという事情がありました。野生化して暴れまわり、人を襲うこともありました。それに対して反撃して何が悪いのかと内心反発する人々もいたのです。

風潮とは生活に根ざしたものなので、それを命令のみで改めるのは難しいことです。
とはいえ、綱吉が慈愛でもって世の中を改めようとした理念そのものは非難できることではありません。忠臣蔵は有名ですが、浅野内匠頭を切腹に処したのは朝廷の儀式を壊されたとの強い憤りがあったと言われています。

こうしてみると徳川綱吉という人は儒学を重んじた理想主義的であり、ちょっと杓子定規なところがあったのかもしれません。

綱吉の身長は?

その綱吉、身長が124cmだったという説があります。
根拠となっているのは大樹寺の位牌の高さ。

大樹寺は徳川の菩提寺で、歴代当主の位牌が安置されているのですが、その位牌のサイズが当主たちの身長に合わせて作られているという話があります。

wikiより抜粋。

1.家康159.0cm
2.秀忠160.0cm
3.家光157.0cm
4.家綱158.0cm
5.綱吉124.0cm
6.家宣156.0cm ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は160cm前後
7.家継135.0cm ※満6歳薨去
8.吉宗155.5cm ※身長は六尺(約180cm)あったとも伝えられる。
9.家重151.4cm ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は156cm前後
10.家治153.5cm
11.家斉156.6cm
12.家慶153.5cm ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は154cm前後
13.家定149.9cm
14.家茂151.6cm ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は157cm前後


これを見ると綱吉と家継以外は各5cmほどのズレしかないので、ちょっと感動します。

綱吉の身長が124cmだったかどうかの問題に決着がつくことはないでしょうが、他に一切史料がないのでやや信憑性には欠けます。欲を言えばあと一押し説を補強するものがほしかった。文書でなくとも口伝かわらべ歌でもいい。これをロマンというのはおかしいけどロマン色薄めです。

  1. 2017/07/29(土) 21:16:16|
  2. 歴史の謎