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坂本竜馬暗殺の黒幕は? 下手人は斉藤一?

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画像はWikipediaより

坂本竜馬といえば薩長同盟の立役者として、知らない人はいません。
竜馬の最期は悲劇的で、彼は新時代を迎えることなくこの世を去りました。享年33歳。

さて、その竜馬。
近江屋の二階に中岡慎太郎と共に泊まっていたところを襲われて命を落とすのですが、その下手人や黒幕が度々話題にのぼります。

よく犯人として挙げられるのが京都見廻組と新撰組です。
両者はともに会津藩のお預かりとして、京で暗躍する浪士や長州藩とは対立する立場にありました。幕末の京では多くの藩士や浪士が、京都見廻組と新撰組の手によって斬られています。悲劇の舞台となった近江屋では、新撰組隊士、原田左之助のものと思われる鞘が見つかったことで当初は新撰組の関与が疑われていました。
(本当に原田左之助の鞘だったかどうかは不明)

しかし明治3年、函館で捕らえられた京都見廻組の今井信郎が竜馬暗殺を自供したことで、見廻組の犯行であることが判明。
竜馬の暗殺は、今井信郎、佐々木只三郎ら京都見廻組の手によるものだったことが明らかになりました。

本当に見廻組の犯行なのか?

竜馬暗殺について諸説あるのは、下手人である今井信郎と関与した他の見廻組隊士の証言に食い違いがあることや、犯人である今井信郎がたった二年の禁固刑しか受けていない(特赦により放免)ことが様々な憶測を呼ぶことにつながっています。

竜馬を狙っていたのは誰か?

京都守護を受け持つ会津藩の他に、竜馬と船事故の賠償を巡ってトラブルのあった紀伊藩も竜馬に恨みを抱いていました。
しかしもっとも根強い支持を集めているのが薩摩藩黒幕説です。
大政奉還を望む竜馬と、あくまでも武力討伐にこだわる薩摩との間で不和が生じていたと考え、そこから生まれた疑いです。

浅田次郎さんの小説「壬生義士伝」では、この説をもとにして竜馬暗殺の下手人を新撰組隊士の斉藤一にしていました。

新撰組のなかには薩摩側に寝返ろうとするグループ(御陵衛士)がいたのですが、薩摩への手土産として御陵衛士は竜馬の暗殺を企てるという内容です。
その役目を担わされたのが、新撰組隊士のなかでも腕利きだった斉藤一。
斉藤は新撰組副長、土方歳三の命でスパイとして御陵衛士に潜り込んでいましたが、御陵衛士の頭目だった伊藤甲子太郎に頼まれて、やむなく竜馬暗殺を引き受けます。
竜馬暗殺を拒否することはスパイ活動を疑われることになるので、その役目を引き受けざるを得ませんでした。


竜馬がどのようにして斬られたのかは、竜馬の遺品の鞘や近江屋に残された血痕のついた掛け軸などから、おおよそのことがわかっています。※遺品の鞘は大正2年、釧路の大火で失われており、現在残るのは写真のみ。
竜馬は向かい合った姿勢から、一太刀目で額を斬られ、立て掛けてあった刀で防戦するものの、鞘から刀を抜くヒマもなく絶命しています。

優れた剣術家だった竜馬をあっという間に切り伏せることができたのは、屈指の剣術家でなければならない。また向き合った姿勢から、初手で優位に立てる居合いの使い手、ついでに左利きの人なら尚更いい。
そこで左利きで居合いの使い手だった斉藤一にスポットを当てて考察されたのだと思います。


※当時の武士の作法として向き合って座ったとき敵意がないことを示すために右側に刀を置いた。
右側の刀を抜く場合、右利きの人間は左に一度持ち替えねばならず、斬るための動作が一つ遅れる。しかし左利きの人間ならば、右側に刀を置いたまま抜刀できる。

何かの番組で東京大学の教授も、斉藤一下手人説を話していました。ただ浅田次郎さんの「壬生義士伝」もそうですが、これらの説は人気のある新撰組隊士の斉藤一と竜馬を絡めることでよりセンセーショナルな演出を意図したもので、斉藤一が近江屋にいたという記録はありません。
薩摩藩が後ろで手を引いたとしても、それを裏づける史料がないので落としどころとしては見廻組になってしまいます。


最近オカルトとは関係のない内容が増えてますね。オカルトはエネルギーの消耗が多いのでやむを得ないのです。察してください。

そうそう、斉藤一といえば近年になって、顔写真が出てきました。当たり前のようWikipediaに載ってましたが、容姿がわかったのはつい最近のことです。ファンとしては嬉しい限りですね。

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掘りの深いイケメンのおじい様。若い頃はさぞかっこよかったと思われます。画像はWikipediaより



  1. 2017/07/31(月) 07:35:33|
  2. 歴史の謎