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不思議なものを追いかける/らせんの宿、phantom twins、小人戦記ザキ/DMM TELLER様あの晴れた日の向こうで

モアイ像は誰が何のために? イースター島の謎。

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画像はWikipediaより

モアイ像とは、イースター島で発見された謎の巨石像。10世紀~17世紀にかけて島の凝灰岩で作られた。全部で900体ほどがあり、作りかけのものや、運ぶ途中のものもある。大きさは5~8メートルものが大半だが、なかには20メートルに達するものもある。その重量は200トン以上にもなる。

誰が作ったの?

島に運搬に適した植物が見つからなかったことと、その膨大な数から人の手によるものではなく宇宙人が作ったものだと言われることもあったモアイ像。
しかし作りかけの像が存在することや、土中の花粉を分析した結果から運搬に使われた植物(ヤシ)がかつてのイースター島には生い茂っていたことがわかってきて、近年では西から移動してきたポリネシア人によって作られたと考えられています。

紀元前3000年ごろ、ユーラシアから海を渡ってインドネシアに達した人々が、定住しつつ徐々に東へ向かって移動していきました。紀元前1300年ごろにトンガ、フィジー、サモアに移り住んだ人々が1500年の時をかけてポリネシア文化を発展させ、その後、ハワイやニュージーランド、イースター島に移っていきました。

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イースター島は赤丸のところ

イースター島は南米のペルーやチリと近いですが、住んでいたのは西から渡ってきたポリネシア人でした。といっても、南米のインカ帝国との関わりはあったかもしれません。南米というと、ナスカの地上絵やマチュ・ピチュを思い出しますね。大空や太陽に対する信仰があった地域です。
イースター島には岩に描かれた鳥の絵があったり、渡り鳥の卵を泳いで取ってくる鳥人の儀式がありました。

何のために作られたの?

モアイ像の台座から大量の人骨が見つかったことで、像は墓碑の役割を果たしていたとも考えられていますが、決定的な答えはまだありません。海に背を向けて立っているものが大半であることから、島を見守る守り神のようなものだという説もあります。

最初のモアイ像が作られたのは10世紀ごろと言われています。
初期の像はさほど大きなものではなく、今日よく知られる巨大かつ整った顔立ちの像は15~17世紀に作られました。運搬に使われるヤシを伐採したことで島から植物は消え、その後のヨーロッパ人による奴隷政策や伝染病によって島民は消え去りました。
そして、島には「何のために」という謎だけが残ったのです。

モアイ像の数はおよそ900体もあり、島民の数は6000人ほどだったと考えられています。数百年の歳月を費やしたにしろ、このモアイ像の数は島民比で考えると多いと言わざるを得ません。大変な重労働です。島の自然も破壊されていきます。

そこまでしてポリネシア人が必要としたものは何だったのでしょう。
宗教的な意味合いがあったのでしょうか。守り神だったと考えるなら、海の向こうから来る何かを恐れていたのでしょうか。不思議です。皆さんもぜひ考えてみてください。


さらなる謎? ロンゴロンゴ

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画像はWikipediaより

19世紀、イースター島で記号とも文字とも知れない絵が記された木版が見つかりました。詠唱のための線という意味で、コハウ・ロンゴロンゴと呼ばれています。しかしイースター島の人々は文字を持たない文化でした。
これは一体どういうことなのでしょう。

さらに驚くべきことに、ロンゴロンゴの文字は、紀元前2300年ごろに使われたインダス文字との類似が認められました。インダス文明といえばインド、パキスタンの辺りにかけて紀元前に栄えた文明です。イースター島とは場所も繁栄した時代もかけ離れています。インダス文字の総数396のうちおよそ100種がロンゴロンゴに使われていました。インダス文字も未解読文字です。

そこで仮説となります。
現在考えられているのは、ロンゴロンゴはイースター島に住んでいた人々が古くから用いていた(絵)文字ではなく、18世紀、ヨーロッパ人との関わりのなかでもたらされた文字ではないかという説です。
インダス文字を知る布教師が、イースターの島民に文字の存在を問いただし、しだいに島民に絵や文字といったものが行き渡っていったのではないか、と。それは立場の弱い島民が布教師を満足させるために生み出したものだから、衝撃的かつ摩訶不思議な古代文明の文字が選ばれたのではないかとする説です。

似たような話は他の地域にもあります。
ある少数民族のなかで暮らした旅人が天体の話をしたところ、数年後にそれが少数民族の神話や伝説に変わっていたという話です。その少数民族に初めて出会った人は、文明とは無縁の暮らしをしている人々が到底知りえない天体の知識を持っていて驚かされるわけです。
神話や伝説とされるものは古いもの、という思い込みからくる間違いです。

ロンゴロンゴの真偽はわかりませんが、今回は私も上記の仮説で納得しておくことにします。でも仮説は調査や発見ですぐに覆るものだし、わかりませんね、本当に。惹かれる島です。

参考『幻の超古代文明・講談社』

  1. 2017/08/08(火) 20:04:52|
  2. オカルト

本物のオーパーツか?金属コイルのような物体。

※コイルのような金属物体とは、1991年~1993年にかけて、ロシア、ウラル山脈の南東部、ナラダ、コジム、バルバンジュという三本の川の流域で発掘された金属物体。川の流域は鉱床が多く、そこで働く採掘者たちによって堆積地層(約10万年前)から何千個も発掘されてた。

自然界には貝やその化石などが生み出す曲線や円、模様がしばしば人工物のように見えることがあります。
ロシアで見つかったコイル、私も最初は化石何かだと思ってました。
写真を見るまでは。

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画像はANCIENT ORIGINSより

コイルにしか見えません。
ラセン状の物体の内部には軸も通っていて、大きさは最大で3センチ、小さいものは0.003ミリ。小さいものは顕微鏡でしか見えません。
この金属コイルは1993年にロシア科学アカデミー、貴金属地質調査科学研究センター、同アカデミー所属の二研究所、隣国フィンランドの民間研究所に持ち込まれて分析調査にかけられています。

分析の結果、サイズの大きなものは銅製で、ミリ以下の小さなものはタングステン、モリブデンなどの希少金属であることがわかりました。
希少金属は加工が難しく、これが本当に10万年前の地層から見つかったものなら、とてつもない代物です。

調査責任者の地質学者エリナ・W・マトベジェワ博士は以下のように調査報告書を締めくくっています。
「ここにまとめた全データは異星文明を起源とする可能性を示している」

しかし、各学会はこの発見をほとんど無視。
ネット上にも金属コイルに関する報告はほとんどありません。

うーん。どうもおかしい。
この件に関して、私の頭を掠めたのは、メキシコで発見された恐竜土偶の一件です。

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画像はWikipediaより

※恐竜土偶とはメキシコのアカンバロで見つかった粘土の置物。その数は33000体にも及び、恐竜のような生物の置物もある。

年代測定では紀元前1000年~4000年という結果が出たが、古い地層の土を使えば古い年代の測定結果が得られることや、生物として成り立たない形状、発掘調査地の埋めなおし跡などが指摘されている。発見者のドイツ人は地元の農夫から(おそらく何も知らされず)買い受けていた。

こういうことがあったのです。
これと同じように金属コイルも故意かどうかは別として、後から地層に混入したものではないでしょうか。情報が少ないので詳細は不明です。

話は変わりますがロシア、ウラル山脈といえばこういうこともありました。

ロシアには他にカンブリア紀の金属ボルトと呼ばれるオーパーツもあるようです。本当は金属ボルトのほうを探していたのですが……これとは別物のようです。

オーパーツのランクは徐々に修正したり変更したりしていきたいですが、金属コイルについては変更なしにしておきます。

参考『恐竜と人間は共存したのか・南山宏』



  1. 2017/08/06(日) 13:43:39|
  2. オカルト

未解明・ナスカの地上絵は空から見られていた?

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コンドル。画像はWikipediaより


※ナスカの地上絵とは南米大陸の中西部、ペルーのナスカ砂漠に描かれた絵や模様。小さなものでは全長50メートル、大きなものでは300メートル近くになるものがある。

ナスカの地上絵は紀元前500年~後500年のナスカ文化時代に描かれたと言われています。

※ナスカ文化とは、繊細な織物や彩色豊かな土器で知られる古代アンデスの文化。布地や土器の模様には地上絵のハチドリ、シャチとそっくりのものが見受けられる。ナスカ文化は宗教的な色合いが濃かった前期から後期にかけて徐々に軍事色が強くなっていったと考えられている。

ナスカの地上絵は今もって何のために描かれた模様なのか不明で、宗教的な意義、夏至と冬至を知るためのライン、雨乞いのための儀式、宇宙船の滑走路など様々な説があります。

どうやって描かれたの?

大き目の絵を描き、適当なところにその絵の中心を決めます。次に絵の角や曲線部分の点を取り、中心と結ぶことによって割り出した距離を拡大していくことによって描かれたと考えられています。
他には、複数人による歩幅と目視の方法で描いたという話もあります。小さめの絵はそうした方法で描かれたのかもしれません。

地上絵はなぜ消えないの?

地上絵は太陽熱によって酸化し、赤くなった表面の石を取り除いて、石灰質の地層を露出させる方法で描かれています。風や雨がほとんどない安定した気候のため、1000年以上に渡って模様が崩れることはありませんでした。

ナスカの人は空を飛ぶことができた?

国際探検家協会の会長ジム・ウッドマンはナスカの地上絵に鳥が多いことと、ナスカ文化の土器や織物に空を飛んでいる人間(神?)の絵が描かれていることから、ナスカの人々は実際に空を飛んだのではないかと考えました。
本来、絵は人に見てもらうために描くもので、地上に描かれた絵を見るには空に上がるしかありません。

ウッドマンが地上絵付近の墓場から掘り出した布キレを分析に出したところ、1500年前の布キレは強度、通気性ともに気球に適した材料であることが証明されました。
そこでウッドマンは気球を作り、ナスカ平原で飛ばすことを決意します。動力は煙を集める方法、すなわち熱した空気です。

1975年11月、気球の飛行テスト。結果は14分間の遊飛行に成功。

ウッドマンはここから更に考えを進め、空気が冷えるにつれて気球は落下するが、落下よりも早く太陽熱を集めることができれば気球は太陽に向かってどこまで飛んでいくと考えました。気球は死者を乗せて太陽へ送るためのもので、熱を保持するために気球は黒く塗られていたかもしれないと。

今のところ気球に使われたバルーンも吊りカゴも出てきていないので仮説の一つに過ぎませんが、ロマンのある話です。

空に夢見る
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古来より多くの都市国家で人々は空を飛ぶことを夢見てきました。夜空に星々が見えても、現代のように観測できなかった古代の人々は星に何を見出したでしょうか。
星には別の世界の住人が住んでいると考えたかもしれないし、神々が自分たちを見ていると思ったかもしれない。
現代の私たちがミクロの世界を通して世界の成り立ちを考えているように古代の人々も想像を膨らませたに違いありません。インカの伝説には、敵の情勢を空から視察するアンタルキという少年の話もあります。
この地方の人々はとりわけ空への執着が強かったのかもしれません。

ナスカの地上絵が描かれた理由はまだ解明されていません。ぜひ皆さんも考えてみてください。

地上絵の解明に一生を捧げたドイツ人学者、マリア・ライヘ女史は、クモをオリオン座、サルを北斗七星と考えました。

以下の画像は全てWikipediaより
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ハチドリ

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サギ

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クジラ

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人間?

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クモ

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ペリカン

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イヌ

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手。わらわらと出てきてます。関係は不明ですがナスカでは指が4本、6本などの姿は神聖なものとして扱われていました。

今回もオカルトっぽくないので、最後にそれらしいものを。
ナスカで3本指のミイラが見つかったらしいです。詳細不明!

UFO SIGHTINGS HOTSPOT

参考『ナスカ 砂の王国・楠田枝里子』

  1. 2017/08/02(水) 07:35:38|
  2. オカルト

宇宙人は身近にいた。生命のルーツ。

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地球はすでに宇宙人によって支配されている。
そう主張する人がいます。
世界を牽引するトップリーダーたちは、レプティリアン(爬虫類型宇宙人)だという話もあります。

今回は少々野暮ったいかもしれませんが書いていきますね。

宇宙人が人間を支配しているとして、その目的は何か。

たとえば私ら人類は牛や豚、鶏のような家畜を管理して、言い換えるなら支配しています。
一方で、アリ(昆虫)を支配しようとは思いません。

家畜は私らにとって必要不可欠なタンパク源ですが、アリはタンパク源としては心もとなく他に十分な代替品があるからです。アリの場合、人間にとっての研究対象となることはあっても、基本的には種の系統が違いすぎて人間からは無関心です。

では宇宙人にとって、私ら人類はタンパク源なのでしょうか。
単にタンパク質を得る目的なら、人類が家畜を管理しているように他にもっと最適な生物があり、高効率な方法があるので、それよりは研究対象と考えるほうが、支配の目的としては妥当です。

高度な隠密性が導くもの

しかし地球の人口75億人の目を逃れて、影で人類を管理するのは、現実にはとても難しいことです。単純に資本のトップに成り代われば支配できるわけではなく、その存在を見られてはいけない。撮影されてもいけない。家族や親しい友人に疑問を持たれてもいけない。

そうなると、ほぼ完全に特定の人間を手中に収めなければいけません。
そのためには、人間という種の特徴を知り、もっと安全を期すなら身の回りの人間の一生を掌握していなければいけない。

自分たちよる劣る種に対して、そこまでして隠れる必要がありません。
全てを隠密裏に行える文明の段階となると、今度は逆に、人間など眼中にない種の段階に達していてもおかしくないし、隠密という手段と、研究という目的は釣りあいが取れにくいのです。


私は宇宙人肯定派ですが、人類の支配を目的とした存在という点では懐疑的です。
皆さんはどうでしょうか?

実際のところ宇宙人は地球上に存在しないのでしょうか。
いいえ、そうとも言い切れません。

私たちこそが宇宙出身だった可能性があります。


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生命のルーツは宇宙にあり?

かつて地球の生命は、原始スープの海で生まれたと言われていました。
しかし近年では、地球の生命は地球外から運ばれた材料を基にして作られたと考えるパンスペルミア説を支持する人も増えています。

パンスペルミア説とは、生命の種は宇宙にばらまかれているという考え方。

生命は38億年前には出現していたと考えられていますが、41億年前から38億年前にかけて小天体が地球に激しく降り注ぎ、大地はマグマと化して、海は蒸発してしまいました。

原始スープの海で生命が誕生していたとしても、そこで一度生命は死滅してしまったのです。
現代の生命は、小天体の衝突後、たった数千万年かもっと短い期間で生まれたことになります。
ごく短い期間に発生し、複雑な機能系を持てたのは、地球外から来た有機物との結びつきがあったからとも十分に考えられるのです。

偶然? 必然? 奇妙な事実。

もう一つ、生命の材料であるアミノ酸の分子構造は、右手型と左手型の二つがあります。
普通にアミノ酸を合成すると、右手型と左手型が同じ量だけ作られます。
その性質は同じですが、どういうわけか地球上の生命を作っているタンパク質は全て左手型のアミノ酸からできているのです。私たち人類の体も。理由はわかっていません。

ただ飛来する隕石から採取されたアミノ酸には左手型への偏りが認められています。それは重い恒星の放つ光(円偏向)が右手型のアミノ酸を壊し、左手型だけを残すためです。

遠い昔、恒星の光を浴びながら私たちは地球に辿り着いたのでしょうか。
私たちが宇宙の果てを夢見てやまないのは、一度は銀河を旅してきたからだと考えるとロマンが広がりますね。

参考『ますます眠れなくなる宇宙の話・佐藤勝彦』

  1. 2017/07/27(木) 06:30:03|
  2. オカルト

縄文時代の土偶は宇宙人? 縄文時代とは。

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PCのような文明の利器に長時間向き合っていると、ふとした瞬間に悠久の過去に思いを馳せてしまいます。
生と死が隣り合わせのダイナミックな時代……そう、あの時代さえも私たちオカルティストの期待は広がっていくのです。

縄文時代の土偶は……まさか宇宙人なのか。


そもそも縄文時代時代っていつのこと?

今から約15000年から2400年前まで続いたと考えられています。
なんと1万年以上も続いていたんですね。
彼らは水場が近くにあって、なおかつ水害からは逃れられるよう台地に住んでいました。

縄文人の身長は? 顔は?

出土した骨から、男性でおよそ平均158cm、女性で153cmほどと推定されています。
現代人よりかなり小さいですが、漁と猟に明け暮れる生活は彼らを筋骨質な肉体にしていました。
ちなみに縄文人の後にやって来た弥生人男性の平均身長は164cmほどだったと言われています。けっこう大きいですね。

縄文人の顔は眉間の出た堀の深い顔立ちでした。鼻も高く、エラが張っており、お酒に強い、湿った耳垢などが特徴です。
弥生人はその反対で面長でのっぺりした顔立ち、低い鼻、お酒に弱く顔が赤くなる、乾いた耳垢などが特徴でした。
 
縄文人の平均寿命は?

かつて30歳ほどと言われていた平均寿命ですが、岩手県蝦島(えびしま)貝塚など、いくつかの貝塚から出土した人骨には65歳以上のものが全体の30%ほどを占めていたので、実際は40歳ぐらいだったと推定されています。
(ただ縄文時代は長いので、時期によっても大きな差があったはずです)
しかし子どもの死亡率は高く、15歳まで生きられるのは子どものうち5割ほどでした。

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犬と共に歩んだ縄文人

ときには人と一緒に埋められているなど、縄文人は犬を大切に扱っていました。
犬の骨に損傷や骨折が見つかっていることから、犬は人間と共にイノシシなどの猛獣と争っていたことがわかっています。犬の骨には快癒の痕も見つかり、負傷後も捨てたりはせず、大切に面倒を見ていたことがうかがえます。
野生の速さと嗅覚が、日々の糧を得る大きな助けになっていたんですね。犬はその当時から人間の相棒でした。

謎多き土偶

いよいよ本題です。その奇妙な姿かたちから、ときとして宇宙人扱いされる土偶。

左の土偶は遮光器土偶と言われ、土偶の見本のように登場する。
土偶
顔だけでなく体も特徴的なので、宇宙服を着ていると言われたりもする。


しかし土偶は一般的には祈りの道具だったと言われています。
他にも、母体を意識したものが多いので安産を願ったもの、病気怪我で失われていく者の身代わりとしたもの、魔よけなど様々な説があります。

土偶の出土数は膨大で15000体以上にのぼり、その数から類推できる縄文期の総数は3000万体とも言われています。
土偶は、選ばれた人間だけの芸術や高価な売買品ではなく、人にとって身近な存在でした。


その意味するところはわかりませんが、多くの土偶は漫画キャラのようにデフォルメされています。デフォルメすると、リアルに人間を描くよりも強調したいポイントが伝わります。女性らしさ、足が太い、座っている、顔を隠している、眠っているなど。
身近にいた特定の誰かをイメージしたのでしょうか。遮光器土偶は出土数も多いので、目を閉じた巫女のような人物で有名人だったのかもしれません。遮光器土偶の体に刻まれた渦巻き状の模様は、他の土偶にも多く見られ、当時のタトゥーやファッションだったと考えるのが自然です。

変わった形のものが多くとも、その姿は明らかに人の姿を模しており、そこには何らかの思いが託されています。
縄文人がどんな思いを託していたのか、気になりますね。

出土した土偶の大半が遮光器土偶ならオカルト色はもう少し強くなっていたはずです。
ですが他の土偶があまりにも人間的です。
オカルト好きとしては残念ですが土偶はおそらく宇宙人ではありません─Fin─

参考『知られざる縄文ライフ』誠文堂新光社

  1. 2017/07/25(火) 07:37:00|
  2. オカルト
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